――黒き血鉄の匂い、隣佇む美しき白――

約束の還る海
第八章

 調子崩したくせに『付いて行く』って聞かなかった俺のせいで、当初の予定よりも何日か遅れての出発になった。

 機嫌のいい海を三日ばかし南下して、アビリス島に到着した。久々な感じだ。リオンと出会って以来だから四ヶ月ぶりくらいか。もうそんなに経っていたのかという気持ちと、まだその程度だったのかという気持ちが半々。

 珊瑚礁に乗り上げない辺りで錨を下ろして、荷物と一緒に小舟に乗り換える。ディランと俺でオールを回してる間、リオンとアンドレーアは白い砂浜に囲まれた緑の小島に見惚れていた。遠目から見ている分にはいいものだ。淡いエメラルド色かジェードの色をした海の中で、鮮やかな珊瑚が腕を伸ばして、その間をこれまた色鮮やかな小魚が派手なヒレを動かしてうろつく。透き通りすぎた海水は、白砂の海底までの距離感を狂わせる。少なくともまだ十五フィートはあるだろうが、降りたら足がつきそうな感じがしちまう。

「荷物を置いたら、少し泳ぎに来てもいいかもしれないぞ」

 ディランが気を利かせて、海に吸い込まれそうになってる二人に言った。

「私、泳げないので……」

「僕も」

 そうしたら二人して答えるから、俺はちょっと悪いとは思いながらも笑っちまった。

「そもそも泳いだこと自体あるのか?」

「子供の頃、授業の一環で少し」

「僕はないかな」

 嫌なら無理強いはしないでおこうと思うが、どうも二人共興味はありそうな雰囲気だ。

「浅瀬の中歩くだけでも気分いいかもしれねえぜ」

「そうですね……、じゃあ、少しだけ」

「なら僕も」

 俺の提案に、二人はまあまあいい感触で乗ってきた。他ではなかなかお目に掛かれないだろう透明度の高い海の魅力には抗えなかったらしい。アンドレーアに関しては、あまり自由の利く身分じゃないだろうし、この機会を逃したら、次ってのはないかもしれない。荷解きが終わったら、ちょっと付き合ってやろう。潮が満ちてくるまで、まだ時間は十分ある。

「万が一、流されそうになっても安心しろよ。すぐ拾ってやるからさ」

「レナートは俺たちの中で一番泳げるもんな」

 ディランが補足してくれたんで、俺はちょいと胸を張ってみた。自分で言うよりは説得力がありそうだ。俺たち三人のやることは決まった。どっちにしろ、今日は野営所を整えるだけだ。そういうのは手際のいいやつらに任せちまったほうが早い。俺だって決して不器用じゃねえけど、三年工兵訓練を受けたやつらには敵わない。俺もあと二年ちょっとしたら兵役になるが、どの部隊に配属されるかは分からねえ。

 とりあえず荷運びはやらなきゃいけねえから、俺もいつもの野営場所にやってきたわけだが、そこでまた変な感覚に襲われた。十年の間に、野営所に続く道の灌木は切られて、泥濘ぬかるむ足場には丸太の橋ができていた。毎度草が生え散らかしちまっていた広場には石が敷かれて、洒落たようにも見える小屋が二棟あって、作りかけでもう一個ある。高床になってるから、俺が嫌いなヒルも勝手には入っちゃこねえだろう。小屋作りのために周辺の木を使ったんで、広場って言っても手狭だった場所は随分開けて、陽の光が十分に当たってる。奥は相変わらずだが、少なくとも野営所に関しては鬱蒼とした雰囲気はなくなっていた。こうなっていくさまを俺はずっと見てきたし、手伝いもした。なのに、なんでだか――。

 だが、もうそろそろこの急に環境が変わったような感覚にも慣れてきた。いちいち気にしてたって仕方ねえ。俺はテント張りを他のやつに任せて、荷物を置いたリオンとアンドレーアに声を掛けて、浜までの道を引き返した。

 俺も昔はここで暇を潰したもんだっけ。島には七つになった頃にようやく連れてきてもらえたが、役には立たねえから野営所で勉強したり、泳ぎに来たりで、調査期間のひと月くらいを毎度過ごした。ウェリアにいたって暇だったが、こっちにいても暇だった。

 岩場の窪みに取り残された海水と、魚と貝と海藻と、よく分からねえ虫みたいな生き物やらを、ブーツを脱いでズボンの裾を捲ったリオンとアンドレーアは興味深げに眺めてる。そこは小さな海だ。ガキの頃の俺は、その小さな海の中を観察するのが好きだった。

「この魚は何という種なんでしょう」

「知らねえ」

 アンドレーアが青い鱗の小魚を指して呟いた。俺も何度か見かけてきたヤツだが、調べたことがねえから分からん。しばらくは小魚を眺めていたが、次は貝殻を被った節足動物のほうに気が向いたらしい。

「うわ……」

 リオンが小さく呻いた。なにかと思ったら、半透明の細長い魚が、色白の足首に纏わり付くように泳いでる。

「なんだ、気持ち悪いのか?」

「いや、踏み潰しそうだったから」

「普段海の中泳ぎ回ってんだから、そんなに鈍くさくねえよ」

 リオンは足を陽に温められた岩に上げた。そうしたら、半透明の魚はくるっと向きを変えて、小さな海の中心くらいまで一瞬で移動していった。

「ほらな」

 それを指差したら、リオンは納得したみたいに頷いた。狭い場所にいたって、水の中ならこいつらは動ける。海の素人がこいつらの動きに追いつこうってのは、まあ至難の業だ。魚を追って生計立ててる人間だって苦労するんだから。

 岩場で遊んでるやつらを横目にしながら、俺は空気に霞んで空との境目が曖昧な水平線を眺めた。古い珊瑚礁の道が、透き通った水の下を通って、どこまでも続いているように見える。大潮で水が引いていくと、あの道は海の上に現れる。死んでも尚硬い骨格を保ち続ける珊瑚の上を歩くのが、俺は好きだった。骸を土台にした別の生物を発見すると、妙に気分が高ぶって、帰り道が沈むのにも気づかずに眺めてしまったこともある。そんなとき、時間なんてものは些末に思えた。

「わあ!」

 ぼんやりしていたら、アンドレーアの叫び声が聞こえたんで、驚いて目を向けた。足を滑らせて岩場から落ちたらしい。大した高さでもないし下が砂だったんで、怪我はしなくて済んだみたいだが、服がすっかり濡れて呆然としてる。

「藻で滑るから気をつけろって言っただろ」

「急に波が来たので、驚いてしまって」

 言われてみれば、さっきより少し波が高くなってきたか? リオンの服にも飛沫の跡がついている。

 しかしまあ、浅瀬とは言え海に落っこちたくせに、アンドレーアは楽しげだった。海は好きじゃないなんて言っていたのは、ついこの間のことだ。きっとこいつの海嫌いは、こいつ自身が海でなにか怖い思いをしたからじゃなくて、海で身内を失ったからなんだろう。母親はともかく、兄弟の方は生きてたって分かったし――当初は複雑な気分だったみたいだが、今はそうでもないようなんで――、少しは嫌な印象が和らいだのかもしれない。

「野営所の方に川があるから、あとで洗って乾かしとけよな」

 海水で濡れたのをそのまま乾燥させると、着心地が悪くなる。そうやって忠告してやってるのを聞いているのかいないのか、アンドレーアは海水に浸ったまま、波が寄せて胸まで濡らすのも気にした様子なく、座り込んで遠くを見ている。しばらくそうして、顔に掛かった飛沫を拭った手をチロッと舐めた。

「涙よりからいんだ」

 なんて、ボソッと呟くから、なんか可笑しくなっちまった。

「知らなかったのかよ」

「知識にはありましたよ」

 からかい半分で言ったら、アンドレーアはちょっとばかしムッとした感じで答えた。まあ、頭の中で分かってても、実際に体験すると驚くことってのはあるわな。

 岩の上に腰掛けて、脚だけ水の中に突っ込んでるリオンの隣に、俺は座った。渦巻く潮水に踊らされる海藻が脚にまとわりつくのを、何考えてるのか分からねえ顔して眺めている。

 俺はせっかくだしひと泳ぎ行きてえところだけど、二人残して一人で海の中うろつくのもなんだか心地よくはなさそうだ。たまには眺めるだけってのもいいかと思って、日暮れ近くにいよいよ波が高くなってくるまで、三人でぼんやりしていた。

 野営所に戻ったら、テントはすっかり張られ終わっていた。ずぶ濡れで帰ってきたアンドレーアを見た連中は面白そうにして、親しげに話しかけては島での注意点だとか助言を伝えてやっている。神官長の息子だし、これまでは少し遠慮していたんだろうが、存外抜けてるようだってんで親近感が湧いたんじゃねえかと思う。

 アンドレーアはさっさと着替えて、野営所広場の西を流れる川で海水を吸った服を洗って、焚き火の近くに立てた物干し竿に引っ掛けて、手伝えることはないかと周りに訊いて回っている。初日だから張り切ってるんだろう。だがこの調子を続けていたら、疲れていっぺん寝込む日が出てきそうだ。

 飯はウェリアで食えるものよりずっと質素になるが、それはそれでアンドレーアは楽しんでいるらしい。『なにかやりたい』って言うし、ディランの家にいる間に家事の手伝いはしていたみたいだから、芋の皮むきくらいはできるんだろうと思ったら、ナイフ使いの危なっかしいこと。とても見ていられないんで、鍋でも混ぜてろって言ってやらせておいた。

 一方のリオンは、まあまあ器用に手を使えるようだったんで、アンドレーアが身を削りすぎて割った芋の皮を削ぎ落として、食えるようにしてもらった。料理はリオンの方が向いてそうだ。アンドレーアには片付けとか洗い物をさせておこう。

 そんな感じで、完成させた料理を火を囲んで食いながら、明日の予定を聞きつつ話し込んだりして、アビリス島での初日が終わった。

 夜が明けて、昨日の残りの飯を温め直して食って、俺たちの仕事が始まる。島の山を登る道は随分伸びて、もう少しでてっぺんまで届きそうだ。十年前の事件の後、進路を変えて道を作り直した。あの危険な石版は、封鎖された道の先で土を被っているらしい。『この島はべつに危険じゃねえ』なんて俺は思ってたけど、記憶が蘇ってからは『危ないところだ』っていう気持ちがすっかり強くなってる。またなにか出てきても、俺は不用意に近づけない。

 そうやって過去のことを思い返せば、実際に出土品があっても、真っ先に俺が近づかないように周りに気を遣われていたことも分かる。怪しい魔道方陣が描かれてないか、或いは紋章なんか刻まれていないか、十分に確認した後、俺はようやくそれを見せてもらえた。俺はそんな手間の掛かるヤツだったわけだが、連中は文句も言わず、この隊で俺が過ごして活動するための環境やら状況を整えてくれていた。当の俺はそんなこととは知らないってのに。俺は今になってようやく、ずっと年上の仲間たちの優しさに感謝できるようになった。だから、昨晩はテントを回って、仲間一人ずつに礼を言ってきた。大体親父と同年代の連中は、俺がしんみりした感じで気持ちを伝えると、肩やら背中やらを陽気に叩いてくるもんだから、俺は却って涙腺が緩んで、朝起きたら目がえらいことになっていた。

 それを見て、アンドレーアは『虫かなにかにやられたのか』なんて訊いてくるから、鈍いやつだななんて思って適当に流した。いや、敢えて茶化したのかもしれない。リオンは察しているのか興味がないのか、特に何も言ってこなかった。

 なんてことなく二日目も終わった。距離にすりゃあ大したことねえのに、実際に斜面の草木を刈り取って、土砂やら石やらを片付けていく作業ってのには時間がかかる。解読要員は、前回の調査のときに顔を出した石版を掘り起こしながら、なにが書かれているのか――それこそ、俺が近づいても平気なものなのか――ってのを調べた。ちょうど全部が土の中から取り出せた頃に日が暮れたので、詳しいことは明日に持ち越しになった。

 アンドレーアはそこらじゅうで足を滑らせて、野営所に戻る頃には泥だらけになっていた。足腰が弱いってんじゃなくて、単にああいう場所を歩き慣れていないんだろう。もう少し慎重になってもいいと思う。やっぱり、ちょっとはしゃいじまってる感じだ。大した怪我はしていないみたいだが、軽い打撲痕が腕とか脚についちまってる。

 一方のリオンだが、こっちは体力ないのを自覚してるからか、えらく慎重に歩いてたんで一度も転ばなかったらしい。大したもんだ。慣れてたって、転ぶときは転ぶ。いや、慣れているからこそ気が緩むのかもしれないな。まあ、アンドレーアは少しこいつを見習ったほうがいいだろう。

 いつものように夕飯を食い終わって、皆人心地ついたころ、俺は昨日は回るところが多すぎて大して話せなかったディランのテントに行った。もう少し話しておきたいと思ったんで。

 ディランは低い天井にぶら下がってるランタンの明かりを頼って本を読んでいた。魔道工学のものかと思いつつ表紙を見たら、古代魔道術に関するものだった。

「古いもの勉強してるんだな」

「こっちのほうが役に立ちそうだと思ってさ。ずっとこの方面を詰めてるが、際限がない」

 ディランは読んでいたところに紙の端切れを挟んで、本を閉じた。

「古代魔道術って、どの辺りからが『古代』なんだ?」

「大戦時代以前のものはそう呼ばれるな。大戦終期に、どういうわけかそれより前の技術は廃れたんだ。今の魔道工学より、ずっと進んでいたのに。お前、帝都リラには行ったことあるか?」

「ねえな」

「あそこはすごい。一万年以上前に築かれた都市らしいが、砂漠の中にあっても上下水が整っているし、何よりもあの塔だ」

「高さが三千フィートあるとかいう?」

「ああ。あの街では常に古代の魔道術が作動している。今の俺たちじゃあとてもその仕組みは解読できない。リラの人々――魔道師たちでさえも、よく分からないままその恩恵を受けているんだ。『結果』だけが残っている。その結果を導き出すための『式』の意味が、現代人には分からないんだよ。古代大戦の終わりに、そもそもの基礎から魔道というものの仕組みが一新されたのかもしれない。……極められたものをわざわざ作り直した理由は分からないが」

「極めすぎて制御ができなくなったんじゃねえの」

 なんて、俺は適当に思ったことを言ってみた。そうしたら、ディランは目を丸くした。

「……なるほど、そういうこともあるか……」

 だとか呟くから、俺の適当な考えも専門家に通用するのかと、却って驚いちまった。

「……それで? こんな話するために来たわけじゃないんだろう?」

「まあな」

 ディランは敷布の上で片膝を立てて、俺を促した。さて、実際切り出すとなると気が引ける。けど、こいつには殊更謝らなきゃならねえことが多い。話題が話題なだけに、こいつは気分を悪くするかもしれないが、ケジメはつけなきゃいけねえと思う。

「お前の兄貴、俺が殺したようなものだから。ごめん」

 俺は頭下げて謝った。俺が軽率に近づかなけりゃ、あいつは死ななかった。テントの中がシンと静まって、その間俺は顔を上げずにじっとしていた。

「……おい、よせよ。お前が謝ることじゃないだろう」

「あいつは苦しんで死んだ。自我を失っちまうほどに。けど、そうなる寸前まで俺の心配ばっかりしてたんだ。自分が味わってる苦痛なんて一言も口にしなかった。俺が不安がらないように。……だってのに、俺はあいつを怖がって、恨みもした。薄情者だ」

「よせって。お前は被害者なんだ。なにも……、あの人を庇うことない」

「いや、俺は本当は、あいつを嫌いたくなかったんだ。ずっと尊敬していたから。でも、ガキの頃の俺には、感情の整理ができなかった。今なら、ちょっとは分かるんだ。『仕方なかった』って。だから、本当の被害者はお前の兄貴だよ。あんなふうに死なせちまったのは、俺だ」

 俺は言った。そうしたら、ディランは俺との距離を詰めて、肩を掴んできた。俺が顔を上げたら、ディランが俯いていた。

「……頼むから、お前は謝らないでくれ。お前が何したってんだ? 俺はお前を責めたことなんかない。俺が責めたのは俺自身だ。俺があの石版に刻まれたものの意味を理解できていたら、誰も傷つけなかった。ずっと、今でも思ってるんだ。……なんのために魔道を学んだんだ、俺はなんの役にも立たねえじゃねえか、って」

 そう言って、ディランは俺から手を離した。でかい深呼吸を一つして、唇を噛む。昂りかけた感情を抑えるように。

「……あのとき、俺と同い年だったよな」

「そうだな。若かった」

「兄貴と仕事するの、夢だったんだろ」

「……それは、そうだな。……夢だったよ」

 これからようやく、ってときに、それは潰えちまった。それも無念だったろうって思う。ディランは元々座っていたところに戻って、低い天井を仰いだ。

「……実際、兄さんと一緒に暮らしていたのは三年くらいだった。母親が違うから。俺が五歳のとき、兄さんが父親に引き取られて、一緒に住むようになったが。兄さんがパレスに行くまでの間だけだった。でも、面倒見がいい人だったし、歳も離れていたからさ……、『もう一人の親』みたいなところが、ちょっとあったかな。兄弟喧嘩にもならなかった。何でもできる人だったし、……只々、憧れてた……」

 俺もあいつに憧れていた。あいつみたいになりたいって思っていた。その分、ガキの俺は失望しちまったんだろう。今なら、そんなやつが狂っちまうほどの苦痛だったんだろうって思える。あいつじゃなく、あいつを襲った『状況』を悪だと思える。その方が楽なんだ。なんでかって言ったら、俺は今でもあいつを慕っていたいからだろう。もう、思い出の中にしかいないあいつは、やっぱり俺の理想であることに変わりない。でも、ならその『状況』を作り出したのは誰なんだって考えると、俺自身だっていう結論に至る。そりゃ、俺だってわけが分からなかった。理不尽だと思ったさ。でも、そもそも俺がいなけりゃ、あんなことにはならなかったんだ。ディランは自分のせいだなんて言うけど、この世で最も著名な古代魔道研究者なら、あの場でそれがなんなのか、すっかり分かったってのか?

「お前のほうが、兄さんと過ごした時間は長いと思う。だから、羨ましかった。お前が兄さんを『兄貴』って呼んで懐いているのを見たら、なんだか取られちまったような気がしてさ。けど、お前は俺のことも『兄貴にしてやる』って言うから、どうでもよくなったよ。なんだかんだ、可愛げもあったし。……あの人の代わりになれればよかったんだが、いかんせん、出来すぎた人だった」

 そんなことを言って、ディランは笑った。

「……兄貴と似てるところもあるし、似せてきたところもあるんだろうけど。お前はお前だし、どっちの方がいいとか、ねえよ。この十年、お前は俺にとって一番頼っちまう兄貴分だったし、これからもそうだったらなって思う」

「そうか……。ありがとうな」

 なんだかしんみりしちまった。正直、少し言い争いくらいにはなるんじゃないかって思っていた。けどやっぱり、ディランは冷静なやつだ。

 沈黙が落ち着かない。他のテントから飲んだくれの騒音が聞こえてくるが、ちょっと遠い。

「そういや、お前兵役に行かなかったよな」

 俺はふと思い出して、沈黙破りにも丁度いいと思ったんで確認してみた。

「ああ。お前には言ってなかったけど、病んでたんだ。さっきみたいに。今よりずっと思いつめてた。だから、二十五のときは『お断り』されたよ。……だが、税金が高いからな。そろそろ行ってこようとは思ってる」

「なんなら、俺と行くか? 二年後くらいだし」

「いいなあ、それ」

 ディランはすぐに乗り気な返事をした。本当に、俺のことを恨んだりとか、そういう感情はないんだろうか。今はなくても、正直なところを突いてみれば過去にはあったのかもしれない。けど、今そういう気持ちがないなら、わざわざ蒸し返す必要もないんだろう。

「なあ、古代魔道ずっと勉強してたんだよな。じゃあさ、あれが俺に反応した理由とか、少し分かったりしたのか?」

「ああ……、うん……。収穫が全くないってわけじゃないが、『分かった』って言うのはちょっとな」

「でも少しはあるんだろ」

「漠然としすぎてるがな。お前をお前でいさせるためのもの……。容姿とか、性格とか、体質だとか……、そういうものを定義する『なにか』があるらしい。そのお前が持っている『なにか』が、あの石版が反応するように書き込まれていたものと一致した、……そんな具合だ」

「なんだそれ」

「分からん。生物学の分野かと思って、そっちにも首を突っ込んでみたんだが……」

 ディランは『お手上げ』って感じに、両手を上向けた。

「そういうのって、親から受け継ぐ部分が多いよな。……やっぱりアンドレーアにも反応するのか?」

「可能性としてはある。が……、どうもそれだけじゃあなさそうなんだよな。具体的になんなんだ、ってなると、やっぱり分からないんだが」

 古代人ってのは、難解なことをしやがる。だが、要するにあの石版は俺みたいな人間が来るのを待ってたってことか。なんのために? 俺を待ってたくせに、攻撃した相手は俺じゃねえ。

「……もう一度見に行ってみるか」

「やめておけ。危険だ」

 俺がボソッと呟いたら、ディランが間髪置かずに止めてきた。

「俺じゃなきゃ確認できないことだってあるだろ」

「それはそうだが……、何かあったら困る」

「かと言って誰か連れてくわけにもいかねえ。またそっちが呪われる」

 俺はこの島に来てから、やけにあの石版が気になって仕方がなかった。あれがなんなのか知りたいやら、憎らしいやら。問いただせるものならそうしたい。『てめえ、どういうつもりであんな真似しやがったんだ』ってな。

「……とにかく、あの石版については、親父さんとの間でも話がついてる。お前を近づけるなってな」

「親父がこの島で発見したいものの、重要な手がかりじゃねえか」

「仮にそうだとしても、いいだろう。あの人が決めたんだから」

 俺はどうしても腑に落ちなかった。親父はこの島に〈メリウス王の墓神殿〉の手がかりがあるはずだって、三十年も調べてきたんだ。アルベルティーニ家に残っていた記録から、どうやら〈メリウス王の墓神殿〉はこの島にあったってことが確実性を帯びた。それで、実際これまでの調査の中で一番の収穫っていったら、あの『墓守の盾』って、密かに連中が呼んできたらしい石版なんだ。『王の墓守』――その『王』が指すのは、メリウスか、その子孫だろう。

 ディランと話せたのはよかった。互いに対して思っていることを知れた。それに、詳細は分からないにしろ、死んだ墓守たちはやっぱり俺を待ってたんだって、確信した。

 夜が来る度に、夢の中で青い光線を見た。うなされて目が覚める。夜中に覚醒したら、その後は眠れやしない。島に来てからの二週間、ずっとそんな具合だった。禄に眠れないせいで、昼間もぼんやりしちまって調子が悪い。結局、昼も野営所に残って仮眠をとるようになっちまって、ほとんど仕事にならなかった。

 アンドレーアも最初にはしゃぎすぎたせいで疲れが出ちまったみたいだが、一日休んだら元気になったみたいだった。こいつはたぶん、夢中になると時間を忘れちまう手合いだ。うっかり徹夜で勉強、なんてことをずっとしてきたんじゃねえかと思う。わりかし体力がある。

 リオンは時々、隊が山に登っていくのについて行ってたが、基本的には野営所か浜で時間をつぶしているようだった。

 朦朧とした日々を過ごしていたある晩、俺はまた夢の中であの石版までの道を歩いていた。ただ、いつもと違ったのは、思い出にある光景じゃあなかったってところだ。辺りは暗くて、左手にぶら下げた光を頼りに、鬱蒼とした山道を登っていく。石を積んで封鎖した、例の道の前でしばらく佇んだ俺は、その石を崩して、先に進んだ。

 十年放置した造りかけの道は、また草木に侵食されて、土砂が崩れて、跡形もない。ただでさえ暗いってのに、悪すぎる足場。そこそこ幅はあるって言っても、滑ったら左手側の崖の下に落ちちまうだろう。川を流れる水音が、静まり返った夜の森の中に響いていた。

「待ってください!」

 水中から聞こえるみたいな具合で、呼び止められる声がした。振り返ってみれば、俺と同じ顔した男が息を切らして立っていた。その後ろから、またもう一個の明かりがフラフラと揺れながら近づいてくる。

「そちらに行ってはいけないと、言われているはずです」

「……関係ねえだろ、お前には」

 俺は、これは夢じゃなくて現実なんだろうと、なんとなく思った。

「あなたが行くなら、私たちもついていきますよ」

 追いついてきたもう一個の明かりに照らしあげられた雷神像みたいな美形が、手前の男の言うことに頷いて同調する。

「好きにすりゃいい。皮なし人間になって死ぬ覚悟があるんならな」

 俺はこいつらがついてこようがそうでなかろうが、心底どうでもよかった。適当に脅すだけはしといたが、あとは勝手にしろと思ったんで、無視して先に進もうとした。

 だが、ああそうだ、と思いついて、結局ついてくることにしたらしいアンドレーアに声を掛けた。

「アレ、お前にも反応するかもしれねえんだった。先に行って確かめてこいよ」

「……それは、私に死ねと?」

 さすがに嫌そうな顔して訊いてくる。さっき脅してやったからな。

「死なねえよ。反応しなけりゃただの無害な石版だし。仮にお前に反応したとしても、その光線に当たったところで、どうもしねえ」

「……なぜ?」

「そもそも、あの光線ってのは俺に向かってきたんだよ。俺の頭めがけて、真っ直ぐに飛んできた。実際、撃ち抜かれたのは俺の方だった。死んだやつは、ただ掠っただけだったけどな」

 俺は、あのときの状況を思い出すことができた。まるで、少しばかり高いところからその場面を見ていたみたいにして。あの一瞬――、誰も、俺自身も何が起こったのか分かりゃしなかった。だが今の俺には分かる。青い光は、エロイの脇腹を掠めながら、俺の頭を撃ち抜いた。軽い火傷痕が疼くみたいな感覚はたしかにあったが、俺の体は焼けなかった。ただ、ほんの少し触れただけのあいつだけが、焼け死ぬ呪いを受けちまったんだ。

「……分かりました。暫く戻らなかったら――」

「死んでねえか確かめに行ってやるよ」

 大したことは起こらんっていう、どこから来るのか分からねえ確信があった。俺はなにも心配しちゃいなかったが、アンドレーアは緊張した様子で、何度も深呼吸してから、ひどい足場をよろよろと歩いて、暗闇の中に消えていった。

「で、お前はなんで来たんだよ」

 俺は黙って突っ立ってるリオンに訊いた。

「君が森の中に入っていくのが見えたから」

 なるほど、こいつが先に気づいたのか。でも、自分の脚じゃあ追いつけねえと思ったから、アンドレーアを起こしたんだろう。

「アンドレーアじゃなくて他のやつに声掛けりゃよかったじゃねえか」

 そうしたら、俺を羽交い締めにしてでも止めたんじゃねえかな。

「でも、君はここに来たかったんだろ」

「……そうなんだろうな」

 止めようと思ったわけじゃねえのか。ついてきたからってなんにもならねえのに。やっぱり、こいつはなにを考えてるのか分からねえや。

 アンドレーアが戻ってくるまで、俺は適当な岩に座って待つことにした。リオンも近くの木に寄りかかって、軽く息を切らしながら黙ってる。こいつ、腹切った後なのによく歩き回れるな、……なんて思ったけど、島に誘ったのは俺だ。本当は無理してるのかもしれねえ。

「……手術のとき、マリアさんの血を分けてもらった」

「へえ、俺もあいつからもらったことあるぜ」

 他人同士の血を下手に混ぜるとろくなことにならねえって聞いたが、他のやつに混ぜてやっても具合を悪くさせにくい性質の血を持ってる人間ってのが、まあまあいるらしい。マリアはそれだ。俺もそうらしいが。

 俺とこいつの体の中には、同じ人間の血が混ざって流れてるんだろうか。それとも、もう俺の体の中の血は全部、俺が作り直したものに置き換わっちまったんだろうか。どっちにしろ、生まれつきの血の繋がりはねえけど、同じ人間の血で守られた命なら、それを『血縁』と呼ぶのもいいんじゃねえか、なんて思った。

「この島、居心地がいい」

 何もない未開の土地だが、二週間いてそれが言えるんなら、相性がいいんだろう。

「俺は具合悪いな。前まではなんともなかったけど」

「あまり眠れていないらしいね」

「アレに呼ばれてるんじゃねえかって感じがする。今さっきも、夢の中にいるんだと思ってた。……ようやく目が覚めてきたよ」

 だが、相変わらず現実感はねえ。また黙り込む。この先の道はそんなに長くねえはずだから、そろそろあいつも戻ってくるだろう。なんて思った頃合いで、アンドレーアが息せき切らして帰ってきた。

「青……、土が青く光って……」

 連中は随分深く埋めておいたらしい。もうとっくに、雨水にさらされて露出しているんじゃないかと思っていた。どっちにしろ、アンドレーアにも反応はしたみたいだ。

「掘り返してみたのか」

「ええ? そんな、怖い事……」

 まあ、無害だろうって言われたって、人殺すような術が掛かってる石版だって聞いてるのを掘り返したくはねえだろうよな。

「どんな具合で光ってたんだ? 結構明るかったか?」

「いえ、ぼんやりと……。なにかが埋まっているのが分かる程度でした」

「へえ。じゃあ、俺も行ってくる」

 俺は立ち上がって、アンドレーアが駆け戻ってきた道を行こうとした。

「僕も行く」

 だとかリオンが言うんで、俺は足を止めて、なんだか怖ぇ顔して振り返っちまった。

「お前は危ねえから来るな」

「君より後ろにいればいいだろ」

 そりゃ、光線の軌道は俺に向かってくるはずだから、その間にいなければ確かに平気かもしれねえが……。

「二人とも行くんですか? なら、私ももう一度行きます」

 なんでこうなったんだ。俺は一人で行く気だったはずなのに。だが、わりと強情なやつらだってのはなんとなく分かってきていたから、俺は諦めて後ろをついてくる危なっかしい二人分の気配を感じながら、再会した暁には踏みつけてやりてえ石版がある方へ進んだ。

 遠くで青いのが見えた。こんな距離からでも反応してるのか。昔は五歩くらいのところまで寄って、急に光ったくせに。あのときは寝惚けてでもいて、目が覚めてからはずっと起きてたってか。

「もう反応するんですか? 私はもっと近づいたけれど」

「……俺とお前が一緒にいるからじゃねえか。この辺りにいろよな。俺はアレをぶん殴ってくるからよ」

「……はあ」

 アンドレーアが落ち着かなげな雰囲気で立ち止まって、リオンも頷いて木の後ろの方に体を隠した。

 そこから三歩ばかし進んだら、薄ぼんやりしてた光が束になって天を突いて、それから俺の方に向かってきた。甲高い音みたいなものが頭の中に響く。

「だ、大丈夫……」

「なんてことねえよ」

 たぶん、アンドレーアよりもいい反応をしてるんだろう。後ろで心配してるようだったから、俺は適当に宥めておいた。

 元々朦朧としてる意識だったが、光に当てられてるとやっぱりどうもフワついてくる。崖下に落ちたりしねえようになんとか気をやりながら、俺は一歩ずつ近寄った。額に当たっていた光は、俺の体の中央を滑るようにして下りていって、胸のあたりで止まった。土の下から俺になにかを訴えてるらしい石版を、ブーツで蹴飛ばしながら掘り起こす。汚れた青い球体が、気分よさげに青い光で俺の心臓に絡みついてくる。鬱陶しい。

 俺はしゃがんで、石版を見た。わけの分からねえ古代術式の魔道方陣が薄く光って、前期リラニア語でこれがなんなのかってのが書かれている。『我々は守り人として、死しても役目を果たすため、この盾を残す』。昔に親父とエロイが読んだのと同じ文が、俺にも難なく読めた。その下に続く文も、潰れた部分を除いて。『彼者を讃えん。閉ざされた宮の扉を開けるのは、彼者と同一の***を持つ者』。その後、暫く潰れてから、『其れ即ち』――、

「『我らが王の復活』……?」

 見たことのない字形だった。読めるはずがないのに、俺はそれが『復活』という言葉だと、現代の言葉を見たときと同じ具合で、ごく当たり前のように理解してしまった。

――『吾が王也』。

 ……なんだ? 俺は今何を言った? 俺の知らない言語だ。だが意味が分かる。いや、……言ったのか? 何を使って? 口じゃない。声じゃない。音じゃない。それ以外の何かを使って言った。……揺れているのは俺の頭か――?

「うわあ!」

 アンドレーアの叫び声。俺はあいつらが後ろの方にいるのを思い出して、とっさに振り返った。地面が割れている。俺と二人の間に深い亀裂が入って、広がっていく。動けねえ。ここにいたままじゃやべえって分かるのに。立ち上がれねえ。

「レナート!」

 地面の溝を飛び越えて、リオンがこっちに来る。だめだって。

 落ちる。崩れた大地もろとも落ちちまう。崖下の川まで抉って、地面が消える。巻き込まれた木々が根を軋ませながら、しがみついていた岩たちと一緒に落ちていく。

 伸びてくる白い手を、俺は無意識に握り返していた。そのくせして思うんだ。お前、なんでこっちに来ちまったんだよ、って。

 俺と同じ声した、俺たちを呼ぶ叫びが遠くなって、聞こえなくなる。まだ落ちる。本当に死の国ニグロームまで行っちまうんじゃねえだろうか。俺はまた、誰かを巻き添えにして殺しちまう。

 でも、今度こそは俺も一緒に死ねるだろうから、俺が下の方で罪を清められたら、どうか天上の国アルビオンで気が済むまで詰ってくれ。

 ガキの頃から、メリウスが好きだった。寛大で賢く、人らしく思い悩みもするが、神らしい高尚な精神も持ち合わせ、人と神から愛され、今も尊敬され続けている、半神半人。生まれの境遇を自分と重ね合わせて、児童向けに編集された物語から広がる空想に浸って遊んだ。

 ガキの頃から、同じ夢を何度も見てきた。俺の知らない景色だった。建物の様式も、人が纏う衣服も、彼らが扱う道具も、俺の記憶にはないはずのものだった。その中にいて、行き場を探してさまよっていた。人の姿をしているのに、人ではないもの――いや、かれらもヒトだ。二種類の人間で、その世界は成っている、それを俺は知っていた。かれらはいつも友好的ではなかった。場面が変わったとき、俺は争う二つの人類の真ん中で、いつも叫んでいる。撃たれ、焼かれながら、届かない声で訴えていた。俺はいつだって狭間にいた。諍うかれらの、どちらにも属するという俺の思いとは裏腹に、どちらの種も俺を受け入れてはくれない。俺はなぜ、このようなものとして『造り出された』のだろうか。そんな悲嘆に暮れて生きた、途方もない時間。

 メリウスは本当に愛されていたのだろうか。いや、たしかに愛されたのだろう。だが、その道程は、あんな短な物語では到底語りきれやしない。決して容易なものではなかった。

 だって、そうだろう? 俺は――

――私は二千年もの間、闘ったのだから。

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