――黒き血鉄の匂い、隣佇む美しき白――

掌・短編集
聖性

 帝国紀元一五九六年、雄健の月第一の次元神の日に、ヘザー候領の村落にて私は生れた。王子と云う出生にありながらにして僧職にり、リーン教王の位に就き、其れ迄政治に深く干渉し時に国政を乱しがちであったリーン教の在り方を変えた偉大なる御方の名にあやからんと、以降誕生した子供にはルートヴィヒ、或いは女児であればルイーゼと名付けることが流行した。私も偉大なる教王と同じ名を貰い受けた者の一人であった。

 私は農民の子であった。二月前に生れた同じく農民の子である男と、私は馴染みであった。幼年期の私は、屡々しばしば騎士の真似事(とは云え、農馬に跨るだけの技量は持ち得ていなかったので、両足で地に立ち、手頃な木の枝を振るうという遊びである)をして、未だ労働力とは為らぬ時期を過ごした。其の様な時分に、私等は地主の目に留められたのである。「私に仕えてみる意気はないか」と、下流の者等からは好評を受けつつも上流の者等からは悪評を得ていた村落の主は、未だ七つに成るや否やと云う薄汚れた子供等に案を呈したのだ。私は友と相談し、「親の許しが得られれば其の様にしよう」と、もう少し分別の付く頃に成って思い返せば何とも不敬極まりない返答をしたのである。無論、親が反対する筈はなかった。

 そうして、私と馴染みは地主である騎士に仕える事となった。おもには彼の身の回りの世話を担う役目を与えられたが、第一にあるじは私等に十分な教育を施そうとした。文字を教えられ、数学を教えられ、歴史とリーンの教義について教えられた。紳士としての振る舞い方を、主の姿から学んだ。主には娘御が居られた。細君の忘れ形見であるらしく、彼は娘御に衷心ちゅうしんよりの愛情を掛けて居られるように思えた。その娘御はアダルハイディスと云って、随分と古めかしい名をしていた。彼女は男勝りな眉と力強い瞳の持ち主であったが、性格は至って大人しく、声は小さく、其の様な感じであったので、当初の私は彼女に対し、気難しく無口であるという様な印象を抱いていた。

 私にとっての第一の転機は、館に飾られた一つの絵画を目にした事である。其れは主の亡き細君の肖像であったのだが、私は其れに深く感銘を受けた。婦人の姿にと云う因りも、「絵」と云うものに惹かれたのである。此の世は色彩に溢れている。変化とは常々じょうじょうの事象であって、人や動物は心の臓が動く限りに動き、目に映る景色は決して静止する事はない。しかし、絵は時のうつろいから切り離されたものだ。否、其処に描かれたものは尽く、時間の遷ろう中で変化して征くものを、一部ごとにカンバスへと落し込み、無二なる時の完成を作り上げている。私は俄然絵画と云うものに興味を抱き、勉学中にあっては屡々目に映った小さきものを皮紙の隅へと写し取り、主に頼んで紙束と木炭の筆を貰って、夜毎よごとにその日を振り返っては印象深きものを描き残していた。私はあらゆるものに興味を抱く人間であった。村落にって来た流浪の楽人がくじん詩楽しがくを耳にしては惹かれ真似事をし、文学に触れてはまた惹かれ、短な物語らしきものを書き綴った事もある。

 とある日、私が馴染みの肖像を描いていた時の事である。嬢が其処へ来て、私の手元、描き掛けの馴染みの絵を覗き込む。私は少しばかり気を遣りはしたが、手を止める事はなく、木炭を動かしていた。そうしていると、嬢が一言「私に絵を教えて呉れませぬか」と申される。私は他人に指導できる程の者ではなかったが、嬢が言われるからには「えゝ」と答えるほかもない。私の嬢と過ごす時間は増えた。私も嬢も、主に人物を描く事を好んでいた。習作の題材と為るのは私の馴染みである事ばかりで、馴染みとしては二人の人間に観察されながら碌に身動きも取れぬでいる時間と云うのは大層居心地の悪いものであったろうと思う。私が絵画、詩楽、文学に関心を抱くのと同様に、嬢も絵画のみならず詩楽、文学への関心があって、私は彼女との会話を楽しんだ。嬢は口数の少ない方だと思い込んでいた訳だが、決してそうと云う事では無かった。彼女は慣れた相手に対しては饒舌じょうぜつであって、更に関心事については話の止まぬ多弁な御方であったのだ。私等の意気は投合し、是等これらの趣味を通し親睦は深まっていった。

 やがて年齢も嵩んでいった。ファーリーンは改革の時代にあって、各貴族領が争っていた。其れは主に宗教的な理由に依った。リーン教典を拠り所とする此れまでの体制(教典派と呼ばれる様になっていた)と、リーン教典の元となった「アルビオンの書」にこそ、真実の救済の道は綴られていると主張する新勢派(此方こちらは原書派と呼ばれていた)の主張が衝突し、貴族間でも意見が対立していたのである。私等が属するヘザー侯領は公に教典派であったが、私にはさして関心の迄ばぬ事であった。とは云え、いざヘザー侯領が争うと為れば、其れは隣接したアクスリー公領との間に勃り、亦フォルマ帝国も屡々突付いて来るので、あるじは頻繁に戦へ駆り出された。彼の領地はヘザー侯領の北部にある故に、大抵の場合相手にするのはアクスリー公領であった。十四に成っていた私も、馴染みの男も、主に付き従って戦地へ赴いた。主と彼の馬に鎧を纏わせ、盾を持って運んだものである。私等の位は従騎士であって、将来は騎士と成る事を求められていた。戦力は多くとも損とはならぬ。しかしながら此の様な位に就く少年と云うのは、抑々そもそもの生れがたっとい者が殆どであったので、農民出身の従騎士を伴っている主と私等は、の騎士や従騎士等から冷やかに瞠られたものである。しかし、主は私等に「何も動じる事はない」と言って退ける器量を持ち合わせていて、其の言葉と声音には私等に己に対する信を持たせる力強さがあった。

 閑話であるが、此処で私の罪を一度告白する。私は馴染みの男を好いていた。その好意が友人へ向けられるものであったのも、半ば程は左様である。しかしながら、其れとは異なる感情を抱き生きて来た事に、丁度此の時期、曖昧ながらにも自覚しつつあった。彼は屡々しばしばに於いて私に「お前は何でも卒なくこなしてしまうから恐れ入ってしまう」等と言って来たものだが、私はむしろ彼の方こそ敬服されるに相応しい人間だと考えていた。真面目で努力家であったし、気性は穏やかであった。其れでいて凛と男らしく堂々として、見目も好い。私の背丈はさほど高くもなければ、見目も性格も男らしくはなかった。私の性格は寧ろ女性的であったかも知れぬ。しかし私は男としての自我が滅法に強く、其処に漠然とした、しかし激しい葛藤があった。私は常に、自分は男であると己に言い聞かせていた。そうしなければ、其の様に在れない様に感じていたのだ。私は女の様な性格である自分を憎悪していた。気を緩めたが最期、呑み込まれてしまうのではなかろうかと恐怖していた。私は自分自身の中に存在する女性性を排しようと、日々、昼夜と問わず自己を律する事に余念が無かった。

 十七に成った時、主は私に申された。「娘と結婚し、私の跡取りと成っては呉れまいか」と。嬢と私が睦まじくしている様子を主は長らくご覧になって来られたのであろうが、私は馴染みの方が余程主の後継者として相応しかろうと思った。しかし、主も良く思案した事とあっては、私には「はい」と答える以外にない。処で嬢の気持ちは果たして。ファーリーンに於いて、特に上流の家柄に属する女性に相手を選ぶ権利と云うものは殆ど無きに等しい。しかし、前にも述べた様に主は娘御を大層愛して居られたので、生涯を共にするのならばどちらの男が良いかと尋ねたそうである。つまり、嬢が選んだのは私と云う事だ。確かに、私は嬢に好意を抱いてはいた。しかし、それは純然たる友愛の情である。彼女と過ごす時間、彼女との談笑は私を和ませるのだから、共に長く過ごせるのであれば其れも良かろうと思いながらも、私は激しい虚しさに襲われた。其の晩、私は独り泣いた。月が満ちている日であった。アルビオンの光は私の心の中までをも照らし上げ、其処に存在する罪悪をあらわにさせんとする様であった。私は愈々いよいよ其の罪悪と向き合わされようとして、しかし到底向き合う事は出来ず、其の様なものは存在せぬとした。

 其の翌日の事である。晩を通して泣き腫らした私の目を見て、馴染みの男はどうしたのかと案じて呉れた。だが、当然ながら私は真実を教えはしなかった。何と答えたものか、何か適当な理由を答えた様に思う。いやに彼の隣に居座る事を苦痛に感じたのを覚えている。彼の匂いの心地さ、呼吸の為に静かに揺れる気配、此の日の私は其れ等を執拗に感じ取った。私が生涯を共にしたいのは彼であると思い知らされる心地がした。私は俯向いていて、彼は宙を見詰めていた。そうして時間ばかりが過ぎて往く。やがて彼が大きく緩慢に一息を置いた。そして「なあ」と言った。私は「何だ」と言って、彼を見た。彼もまた私を見た。其の時私は愕然としたのである。彼の瞳の奥には、私と同じ、形を成さぬ罪の色が見て取れた。彼も亦、私と同じ罪悪を抱えていると、そう気付いた。其の矛先が私へと向いている事も同時に。「自分は」と呟いて、彼は唇を戦慄わななかせた。其の先の言葉は無かった。しかし手が私の方へ伸びようとしていた。友としてこれ迄幾度となく組み合った肩であるが、此の時ばかりは互い如何様いかようにもし難かった。彼は震える手を組み合って俯向き、「何でもない」と言って終わらせた。只其れだけであった。私も「そうか」と相槌する他なかった。やはり虚しい心持ちであった。私は自ら罪悪の言葉を口にする勇気等、端から持ち合わせてはいなかった。しかし、先には彼が言葉を継いで呉れる事を期待したのである。何と卑怯な事であろうかと、己を顧みて思った。私の心は既に、如何いかんともし難いほどに罪に染まっているのだ。しかしながら、其れを口にする事をせぬでいれば、救いの光は伸べられ続けるものと信じていた。己一人で堕ちて往く勇気等はなく、しかし彼が共に堕ちて呉れるのであれば歓喜してそうしたであろう。しかし、終ぞ彼は口にしなかった。私と同じである。だが、其れを口にしてみようかと試みた処からして、やはり私などより余程勇気の在る男であった。

 嬢との婚約を発表する場は、村落の酒場と相為った。私が農民の生れであって、其処には父母が居り、亦もはや記憶に薄いとは云え幼き頃の知人友人等も居た。主はしげく館から出て村落の者達との交流を深める事を是としていた。其の場の一つが酒場であったのだろう。多くの者が集った。嬢は緊張した様子であった。是迄、彼女が館から出る事は殆ど無かったのだ。賑わう酒場の壇に上げられた私等は注目の的である。主の口から高らかに私と嬢の婚約の発表がされた。俄然拍手喝采。私の目は、吸い寄せられるかの様に馴染みの男へと向いた。彼は笑みを浮かべて私を見詰め、両手を打ち鳴らしていた。其の笑みの裏に存在する底知れぬ哀愁が、私には見えていた。私は彼から目を逸らす事が出来なかった。きっと、私も彼と同じ表情をし、その奥に秘めようとする哀愁を、彼一人へ切に訴えていたに違いない。直ぐ傍らに立つ嬢の事はまるで頭になく、私の意識は彼へとばかり向いていた。喝采の音は遠く、空虚であった。例えば彼と共に此処へ立ち、是等これらの喝采を浴びられたとしたら、れ程歓喜出来たであろうか。愛想を振りまく笑みを顔に貼り付けながら、無意味な空想をした。長らく離れていた両親らに出世を褒め称えられ、其れ等をおもてばかりの感謝の言葉と共に受け、いわいは夜通しののちに終わった。私は只々虚しいばかりであった。

 私と馴染みは、正式に騎士と認められて良い年頃と成ったが、其の位を授かるにはヘザー侯爵直々の許しを要する。侯領の都へ発つ事を二週後に控えた時になって、私は意を決し主に談判した。僧職にりたいと。事実上の婚約破棄の願い出である。リーン教をおさむる者は独身で在らねばならない。主は暫し私を見詰めたのち、静かに頷かれた。「確かにお前は修道士に向いているやも知れぬ」と言って、「しかし、お前に教えた馬術や剣術は如何様にするのか」と尋ねられた。私は「リーンのおしえを守る騎士に成ります」と答えた。武装を許された教会は幾つか存在する。其の中で、私はユストゥリアス騎士団を前身とするウェリア騎士に成ろうと考えた。現在は海を渡った先のアウリー王国南方の諸島を拠点とするが、元々は此のヘザー侯領より南の、今はフォルマ帝国の領地と為ってしまった場所に生じた、修道士達に依る騎士団である。戦いで傷付いた戦士達の治療を主な役目としつつ、必要とあれば武装し、戦中に身を投じる。其の様な者に成りたいのだと言って、私は主の許しを請うた。果たして、此れはあらゆる者達への裏切りであった。無論嬢に対してがそうであるし、馴染みの男に対してもそうである。私が嬢の夫に成らぬのであれば、彼が嬢の夫に成るのであろう。逃げである。リーン教を修るに私は到底相応しくない。心は生れながらに罪悪として在り、愛する者達を裏切る事で罪は色濃く上塗りされる。私はリーンの教を修るに値する人間ではない。只々逃げたいと云うだけなのだ。此の様な者を光明たる神は受容れぬであろう。だが、主は「分かった」と言った。「お前の生きたい様に生きるが良い」と、此の卑劣な裏切り者に赦しを与え賜うた。

 私は嬢にも馴染みの男へも告げる事をせず、無論見送りを受ける事もなく、単身隣国の地を踏んだ。逃亡以外の何ものでもない。温暖なウェリア島の教会を訪ね、私は修道の誓いを立てた。何とも上辺ばかりの口上である。私の中には、リーンの教に対する憎悪の情があった。罪悪が如何にも敬虔な様子で神聖を侵しに遣って来たのである。しかし、司祭にして団長で在る男は、私と云う罪悪の権化に何の疑いを持つ事もなく受容れた。其の時私の抱いた思いと云えば、感謝などではなく、果たして此の司祭というリーン教に於いて上級なる者には、善なる者と悪しき者を見分ける事も出来ぬらしいと、あざけりさえする有様ありさまであったのだ。

 斯様かようにして、リーン教典を読誦どくじゅ思惟しゆいする日々が始まった。思考事は好む性分であったが、既に教育の一環として教典を読み通していた私には其処から今迄以上の気付きを得られる事はなく、司祭にる教典解釈の説教も腑に落とせずにいた。否、抑々理解しようと云う心持ちがなかったのだ。しかし、如何にも解った様な振りで居た故か、私は司祭に大層気に入られていたようで、先輩の修道者等も何故か好意的であった。

 ウェリアは文化的な島であり、名声は未だ無くとも類稀なる技巧と感性を持ち得る肖像画家が居り、私は其処へ往って只創作の様子を見て習い、館に戻っては借りた空き部屋を画材の臭気で満たしながら、何かと描いていた。或る晩遅く迄そうしていた私は、自室として与えられた場所への道程を手持ちのランプを頼りに歩いていた。一つの部屋に差し掛かった時である。明確に男のものと判ぜられる卑しい嬌声が聞こえたのだ。初め聞き紛うたのだと思ったが、しかし私の足は自然其の部屋の扉へと近付いて、無意識に鋭敏さを増した聴覚で様子を窺った。果たして、確かに扉一つ隔てた場所で、男同士が性愛を交わし合っていたのである。其の部屋の主はアウリー人であった。アウリーの教義に於いて同性愛は罪とはされない。しかし此処はリーンの修道会である。恐らく元々アウリーの文化の中で育った者にとっては、リーン教に於いては罪とされる其の事柄に対しての意識が薄弱なのやも知れぬが、とは云え。私は目眩を起こしながら、其の部屋から離れた。自室に戻って眠らねば為らない。一刻も早く眠り忘れねば為らないと思った。

 私は馴染みの男と抱き合っていた。衣服を纏わず、互いに全てを曝け出していた。肉体は繋がり一つと成って、彼は幸福の笑みを浮かべ私を見詰め、私の心もまた幸福に満ちていた。彼は愛を囁き、私は其れに応えた。繋がりは更に深く成り、深く迄を彼に暴かれた私は素直に成る他なく、女の様に啼いた。只々彼への愛を叫び、幸福を叫び、何者にも咎められる事なく昇り詰めた。無論、其れは夢である。入眠前の出来事に触発されたが為の夢である。其の様な幻夢へと陥った事は此れ迄の人生に於いて初であって、想像を仕掛けた事は在れど、意志で以て咎め制して来た。しかし、意志の力の働かぬ眠りの世界で、私は到頭彼と愛し合ってしまった。覚醒時の虚しさと罪悪感、そして自らが女の様に振る舞っていた事への嫌悪感。私は頭を掻き毟りながら、絶叫したい程の、しかしたとえ其の様にしても到底赦せぬ程の思いに駆られた。私は思い知ったのだ。私の夢は罪悪だ。抑々、私の存在其のものが罪の権化で在ると云うのは決して私の思い下がり等ではなく、事実なのだと。私は夜明けを待ち恐れながら、只管に泣き呻く事しか出来なかった。

 此処へ来て初めて、私はリーン教典の元となったアルビオンの書を此の手に取った。ファーリーンでは司祭位上の者でなければ触れてはならぬとされている神聖なる書は、アウリーでは一般に出回っていた。私はリーンの修道士で在るからして、斯様な状況に在れど本来其れに触れてはならぬのであったが、好奇心に敗北したが故、密かに一冊入手した。果たして其れは非常に興味深い神話であった。リーン教に於ける最高神たる天空の神は無性であるとの記載数多あまた。アウリー人の信奉する神も、二神が仕える月の神子も皆性と云う概念を持ち得ぬらしい。私は長らく、我らの神は男の姿であると教えられて来た。その根拠は彼――、否、の様に表すが適切であるか判りかねる故、まで神と記そう。神が天界アルビオンより降り立たれた時、初めに創り出された自らの分身は男の姿をして居られた。其のために我らの神は男とされたようである。確かに、アルビオンの書に於いても、高位神族たる三神が初めに作り出されたのは皆男の姿、乃至ないし一見して男性的な霊気を持たれる分霊であったと記されている。しかし、例えばアウリーの神は屡々しばしば人の女体に宿り人々の前へと現れ、そして半神半人をその女性体でもって産みたもうた。故にアウリーの神は女神と謳われがちでもあったが、そうと云う訳でもない。高位たる神々が抑々そもそも性別と云う概念を持ち合わせて居られぬ事は、アルビオンの書には明確に記されている。其の様なものは超越しているのだ。其処に固執する私とはまるで対照的である。私は改めて己の下等さを思い知った。そして更に云うなれば、此の書には同性愛を禁じるだとか、してや罪である等とは何一文とて書かれてはいなかった。つまり私の罪は神にってもたらされたものではなく、リーンのおしえを説いた者に因って生じたものであると云うのであろうか。しかしリーン教典は聖人が神より伝授された言葉より作り出されたものだと伝えられている。其れが事実であるならば、やはり我らが神は私を罪悪と見做みなすのであろう。

 時は過ぎ往く。私は二十三に成っていたが、逃亡した際の年齢より成長している心持ちがまるで無かった。そして此の一六一九年と云う年、ファーリーン王国は愈々いよいよ動乱へと投じられたのである。帝国内そして周辺の国々をも巻き込んで、教典派と原書派での争いが全面化した。それは国王に因って齎された災難であった。彼が原書派を弾圧する発言をした事が、辛うじて保たれていた二勢力の互への譲歩を許す関係を崩壊させた。かつて偉大なる教王が国政と宗教を分離した偉業を、現代の国王が宗教に介入し圧砕したのである。故にファーリーン王国は分断を余儀なくされた。教典派として、王都リディの教典派閥、ザルツ公領、そしてザルツ公爵とアウリー国王が親戚関係である為に、アウリー王国も教典派として参戦。其れに加え、ファーリーン国内の混沌化を望むヴァリュレイ女王国とシーク首領国連邦が加わった。対して、原書派には弾圧に反した王都リディの原書派閥、ベルン侯領、レイス侯領、アクスリー公領、皇帝の親類が治めるヴィオール大公国、そしてやはりファーリーン国内を撹乱する為、ヴァリュレイ女王国とシーク首領国連邦の兵、そしてフォルマ帝国が加わった。ヴィンツ候領は公には中立を宣言したが、傭兵と云う建前を用いて非公式に原書派へと加勢した。そしてヘザー侯領は主君の代替わりを経て原書派へ転換していた。ウェリア騎士団は無論教典派である。つまり私は其の元から逃亡したとは云え、未だ想い続けている故郷と対立する事となったのである。私は嘗ての主、馴染みの男、そして彼の妻となったのであろう嬢の事を思い、殺伐とする日々を過ごした。

 兵力は原書派が上回っていた。其の差は歴然とする程のものではなくとも、充分な知恵を働かせなければ為らぬ程度の開きであった。アウリー本土から六千の増援がウェリアに集った。ウェリア騎士と合わせて八千となる。此処はキュアス諸島の中枢であって、諸島はフォルマからの攻撃を受け易い。基本的にフォルマ帝国が対抗しているのはファーリーン王国であって、其の内乱に加わる事は建前上は恩を売るものであっても、彼らの本心はリーン人を殺戮したいという至極単純なものである。されどアウリー王国がファーリーンに加勢した以上、フォルマの矛先はいずれアウリーへも向いて来るであろう。しかし緊張感漂う中でも三年の間、ウェリアはフォルマ兵に侵攻される事はなかった。此れ迄と変わらず、時折海賊が現れるのみであった。

 しかし其の三年が経つ頃には、フォルマ帝国やザルツ公領の原書派勢力が諸島に攻撃を仕掛け始めた。フォルマ帝国は原書派に付いてはいるものの、兵は特に此れと云って教典派だの原書派だのと考えては居らぬ様で、キュアス諸島全域に出没し島を襲うので、ウェリア島に集ったアウリー兵はそちらへの対処に向かうべく散った為、ウェリアに残されたのは千人ばかりだった。ところがザルツ公領からって来る原書派勢力が狙うのはもっぱらウェリア騎士団であった。ウェリア騎士団は先にも説明したがユストゥリアス騎士団を前身とする古き修道戦闘組織である。其の歴史は八百年に及ぶ。現代に於いては教典派として教王の勢力に次ぐ影響力を持つ。要はこのウェリア騎士団を潰した成らば教典派の勢いは衰える事必然という訳だ。其れは戦力的なものではない。ウェリア騎士団員数等は高が知れて居り、此処で原書派が求めるのは、教典派の精神的支柱を一つ折ってやる事に他為らないのである。

 ウェリアは島である以上、戦闘は海上で行われた。原書派はフォルマ兵との混合で遣って来るが、フォルマ兵はまるで無尽蔵の様であった。如何なる時代の戦いに於いても、どうやらフォルマ帝国と云うものは数で仕掛けて来るらしい。ウェリア騎士団員二千とアウリーの増援兵一千に対するのは、一万二千の兵であった。幾ら此方には拠点が在るとは云え、四倍の戦力差と云うものは如何いかんともし難く、日々味方の負傷兵が修道院に集められた。私は拠点に残り彼らの介抱をする役目を与えられ、其の様にしていた。昼も夜も無く負傷者は苦しみの呻きを漏らし、私もまた、昼も夜も無く彼らを慰め続けるばかりであった。

 十七でおしえおさむろうとする者と成り九年、その間道を共にした者が大層な傷を負い帰還した時、私は「此の者の肉体はもう助からぬ」と思った。実際、彼は三日の間高熱と傷の痛みにうなされ続けた。三日目の深夜、月も出て居らぬ暗黒の中で灯火を持って彼の傍に寄れば、彼は朦朧ながらにも意識を取り戻した。死を目前にした彼が行った事は、懺悔であった。「私は望んで此処へって来た訳では無いのだ」と其の者は言った。「左様で在るから、神はいかって御出おいでであろう。生半可な心持ちで此処へ遣って来て、そうして生半可な心持ちのままで今も居る。此れでは為らぬと己を律する事が出来無かった。神よ、申し訳有りません」と、彼は涙ながらに告白した。果たして神は彼の懺悔を聴き届けられたであろうか。答える者は無い。私は其の者の血濡れた包帯に覆われた右手を取り、「貴方がの様な心持ちで在ったとしても、私の目に映る貴方は己を律する事の出来る人でした。出来無かったと申されるけれども、真に其れが出来て居られなかったのであれば、其の様に他の目にも映るものだと、私は考えます。此の様な立場に為る事を望んで居られなかったと云う、其れにもかかわらず、貴方は此の立場に相応しい人間に成らねばと思い、努力して居られたのでしょう。為らば充分ではありませんか。そして先に当たって、貴方は自ら志願し前線へと往かれた。其の覚悟たるや、誉れ高き聖なるウェリア騎士其のものですよ。神は貴方を見て居られる。貴方の心も、行動も、全て見て居られるのです。貴方の其の人の器から生じる汎ゆる負の感情に打克たんとする、貴方本来の姿である神聖なる魂の様子を、充分にご覧あそばされて居られた筈です。そして貴方は教の為に戦ったのです。之は貴方が勝利した証に他ならない。故に後ろめたい事など在りはしません。その誇り高き魂を神に委ねましょう。神は初めから貴方を赦して居られるのですから」と、此の者が安らかに逝ける様慰めた。すれば彼は両手でもって私の手を握り締め、落ち窪んだ目蓋を甚だ拡げて私を見詰め、「初対面の時分より、只為ただならぬものを感じて来た。成程今解った。貴方は光だ。神が遣わしたもうた光に相違い無い。私の死に際に光が御わす。何と有難ありがたき事であろうか。私は此処へ遣って来た事を幸福であると、今初めて本心より思う事が出来た。神よ感謝します」と言い、息を引き取った。私は何とも苦々しい心持ちと為った。彼を慰めたいとした気持ちに偽りは無いにしろ、私を光等と。まして神が遣わし賜うた存在である様に言われては、全くたまったものではなかった。

 三年前に援軍として遣って来たアウリーの兵士の一人と、私は親しくしていた。当初の彼は、リーン人は頭の堅い連中で在るから到底関わり合っても友好的な関係等築けはしないと考えていた様であるが、私がリーン教の修道士であるにも拘らずアルビオンの書を所有している事を知ってからと云うもの、私に興味を抱いてしまった様子であった。「原書派と呼ばれる連中も、所詮此の聖なる神話の本来示す処を理解しよう等とは考えて居らぬのだ」と、そのアウリーの兵は都度口にした。私は教典派の主張にも原書派の主張にも関心が無かった。抑々そもそも私は修道士で在りながらリーン教典の示す処に関心が無かった。むしろ其処に私を救い賜う様な言葉は何一つ記されては居らず、何処を切り抜いても私の心を逆撫で苛つかせるばかりであったので、嫌悪していたと言ったが其の方が余程通りである。アウリーの兵は、船の一隻を任される立場の男であったが、多勢に対し撃沈され辛柄からがらと救い上げられ修道院に収容された。砲撃にって爆砕された船の破片が彼の肉を切り裂き、此れもまた助からぬ命であると私は早々と感じた訳だが、其れは当人も口振りからして同様であった。彼は今際いまわに於いては同郷の者でなく、私を呼び寄せた。「お前との議論は大層気分のいものであった」と言う。「お前の語る宇宙の論理は興味深かった。神子の守護神の子等として我々は同胞では在るが、何故なにゆえ態々わざわざ神々が示し賜うている其の道の正偽しょうぎを争う者共に、平和を享受するに事欠かぬ我等が駆り出されねば為らぬのかと、天神の子等を憎たらしく思ったものだ。だが、其の中に唯一人お前という存在を見附みつけられたがこそ、私は此の場を離れる事無く闘えたのだ。私はお前の中に希望を見た。希望の光は未だ此の苦しみの世に在らねば為らぬ。左様、光なのだ。光には影が付いて回ろう」其処で言葉を止めた彼は、私の目をその青い瞳で以て射抜いた。「お前は解っている。光在れば闇在ると。強い光は其れだけ強い闇を生じせしむると。逆も亦然り。左様であろう」私は頷き返す事もせず、只彼の瞳を見詰め返すばかりであった。「相反し対極に位置する様でいて、其れ等は表裏一体で在る。表裏で在る以上認識出来得るのは常に一面のみであるが、其の事実を左様と受容れた為らば、表裏と云う概念は消え去り、人は強欲の器たる肉体から開放され得る。其れは自我が無へ転じるのであると同時に、全を受容する境地であろうと。其の様にお前は言った。当に其の通りなのであろうと私も思ったのだ。お前は人の器で以て超越せしめたらしい。未来がお前を変えた。既にお前の目は変わった」其の様に言う。私は此の男はもう意識朦朧とし幻覚を見ているに違いないと考えた。哀れに思い「其の様です。ですが気付いて居られますか。貴方の瞳も変わりました。もう苦しむ事は無いでしょう。我らの神々は貴方の魂を光の国へ導くと私は確信して居ります。アルビオンにて永遠の安らぎを得る貴方が見えるのです。安心してお眠りなさい。聖なる者が貴方を光の国へ導くでしょう」と、何とも無責任な事を言った。すると彼は「恍けるな。聖なる者とはお前に他ならぬ」と言って安らかに笑み、死んだ。

 光と闇、善と悪、白と黒、天と地、そして男と女。相反し対極に位置するもの。しかし其れ等は表裏一体であり、いずれかが欠けては何れもが存在し得ぬ概念である。確かに私は其の様に考え、アウリーの男に其の様に話した。他人は私を善と評する。光其のものとさえ言う。しかし私の心は重い罪悪を抱える。暗黒の池沼に沈んでいる。神聖なる光は私に寄添ってはれず、私と云う闇の輪郭をより黒く染め上げ、私を苦しめる。私に寄添い安らがせて呉れるのは、如何なる時も闇であった。変わる事は無い。私の光等偽りである。闇に浸り溶込み己を責め苛む時間のみが癒しであった。苦しめと。己を憎悪し、世を憎悪せよと。己の中に存在する相反すものを数えきる術など無い。馴染みの男を好いてしまった己が憎い。親愛たる友である嬢から逃げ出した己が憎い。そして己の中に存在する女性性が憎い。常に己の中の女を痛め付けていた。しかし幾ら刺殺さしころしても死なぬ。皮を剥ぎ、腹を捌いて臓物を引き摺り出し、無様な肉塊としてやって、空想上の人目に晒してやった処で、何事も無かった様に再生し亦私の中に居座る。幾ら憎んだとて到底憎み切れぬ其れは、れ程責め苛んでも漫然と其処に存在し続けるのである。此れを何うして受容れろと云うのか。此の様なものは要らぬ。死ねと命じても死なぬ。ならば出て行けと命じても出て行かぬ。私は此れを消除せしめたく思考した。しかし妙案は浮かばぬ。死なぬ、出て行かぬ、ならば日々痛め付ける他あるまい。切り裂くと同時に掻き毟られる様な心地を味わうのは其れが己の一部であるが故か。受容など出来ぬ。泣き叫んでいるのは誰か。女であれと願えども、傷害を繰り返す毎に境界は曖昧となる。しかし耐え抜いた成らば、此の不快を催させて為らない女は消え去って呉れると信じる他無かった。絶望し慟哭し消え去るが良い。その様を私は王者としてくだし見送る。其の日が来る事を祈り日々過ごして来た。受容れて為るものか。受容したらば敗北である。自ら命を断つ他あるまい。私は男である。純然たる男である。斯様な醜悪たる争いを内で繰り広げている私の何処に他人は光を見ると云うのか。不可解極まり無かったのである。

 愈々いよいよ戦況の分は悪く、ウェリア島の住民はアウリー王国本土へ逃されたが、島に残る者は多からずとも存在した。一応の約定として、武装の無い一般人への攻撃は禁じると云う事には為っていたが、果たして何れ程その約定が守られて来たのかは知れぬ。いずれにせよ、ウェリア騎士団が相手にするのはザルツ公領の原書派とヴィンツ侯領の傭兵、そしてフォルマ帝国の兵である。ザルツとヴィンツの兵ならばいざ知らず、フォルマ帝国にとっては此方こちらが市民であろうが兵であろうが然程関係無かろう。

 負傷者の手当道具の物資も乏しく、本土へ逃れた市民宅から布等を拝借して抱え修道院へと戻る道すがら、浜辺にたおれる者を発見した。遺体が流れ着く事は最早日常の事であったが、私は取りも敢えず荷物を置き、其の者へと近付いて往った。無論遠目からでも其の者がフォルマ兵である事は判っていた上、敵兵にまで手当を施してやれる程の余裕も無かった。されどもし未だ意識が残っているのであれば、最期の訴え程度は聞き届けてやろうかと思ったのである。さて、そのフォルマ兵は泣いていた。両腿より下を失い出血多量である。「君、訴えたい事があれば言いなさい。聞きましょう」と私は声を掛けた。フォルマの兵はリーン教を修する者の衣服を纏う私を見て「異教の」と呟き睨みを効かせたが、憐れな事に彼の最期の訴えを聞き届けられる者は私しか居らぬのであった。フォルマの男は啜り泣きながら「老いた母と妻と幼い子が居るのだ。帰ってやらねば。見知らぬ地で死にたく等無い、故郷に帰らせて呉れ、アーリャ、何故なにゆえ此の様な我等にとって無益な争いに、私を送り込んだのですか」と言う。アーリャとは、彼等フォルマの民にとって唯一無二として存在する神を表す言葉だ。我等アルディス帝国に属する者達が「神々」と複数形で呼ぶ様な事をフォルマの民はしない。フォルマ人の言う処の「神」とは「宇宙其のもの」か何か、或いは運命、宿命、等と云った、漠然たる定義に基づく概念を、意思在るものとして崇拝する対象とした存在、とでも表したならば理解出来得るであろうかと、其のシャヒール教にさして詳しくは無いながら無関心でもない私は考えていた。私は彼の涙に濡れた目元に手をかざし、陽光を遮った。「故郷を思いなさい」と私は言った。「貴方の故郷は何処ですか」と訊ねれば、「アシュタールの大砂丘を三つ超えた其の先の、地下水が湧き出る泉を囲んだ処」と説明して呉れた。私は其の様子を想い描きながら「貴方が故郷を思った其の時、貴方は既に其処に居ます。貴方の家へ帰ろうではありませんか。砂漠の最中に湧き出る神聖なる水の輝きを思い浮かべ、故郷の風を感じ、匂いを思い出しなさい。其の脚で家族の待つ家へと続く道を進むのです」と言えば、「俺の脚はもう無い」と言うから、強引にも「在ります」と言って続けた。「歩くのです。鮮明に思い出しなさい。人々が貴方の帰還を喜んで、貴方の家族へ知らせに往きました。もう直ぐ近くに貴方の家が在る。家族が貴方を出迎えようと家から出て来た」私は此の男に同情したのやも知れぬ。せめて此の男の意識だけでも望む場所へ帰してやりたいと思ったが故の、悪足掻きじみた行動であった。しかしながらやがて其の男は「嗚於おお」と声を上げた。「居るのか、俺は帰って来たのか。母よ、妻よ、息子よ、帰った。さあ、もう何も不安な事は無い。嗚呼何と言う事だ、父も生きていた。為らばもう安心だ、また皆で穏やかに暮らして往こうではないか。さて紹介せねばなるまい。私を此処へ導いて呉れた男だ。異教の者だが彼の救けが無ければ辿り着く事は叶わなかった」そう言った男は私の手を目元より退けると、笑みを湛えた瞳で以て私を見て「感謝する」と言い、死んだ。何も感謝されるいわれ等無かろう。故郷の家族と共に幸福を享受し其のまま逝けば良かったものを、最期に態々わざわざ私等へ感謝を述べる為にうつつへ戻るとは。余程義理堅き男であったらしい。今宵は満月であるから、此の浜も海水で満たされる。大方肉体は海の藻屑と成り果てるであろうが、間良あわよくばフォルマの何処かへと流れ着けば幸いと思い、せめてもの手向けとして男の衣服を整えた。後は自然に任せるのみである。私は荷物を取って、フォルマ男の遺体を浜に置いた儘、味方の怪我人が呻き苦しむ修道院へと帰った。

 ウェリア島への攻撃が著しく為ってより六ヶ月が経過し、愈々いよいよ船は破壊し尽くされ、戦場はおかへと移った。この時点で味方は六百足らずであり、対して敵方は五千と云う圧倒的不利な状況にあった。最早敗北は必然である。しかしウェリア騎士たる者逃げ出す事は許されぬ。元より私は此の地を己の死に場所と定めて参った故、逃亡する気等は端より存在しなかったが、事情とは其々に存在するものである。要塞で以て二週間耐えたが、増援も望めぬ状況に在ってはずアウリー兵の士気が下がった。隣国の内戦に巻き込まれた形の彼等である。其の意気の消沈を誰が責められよう。むしろ良くぞ此処迄ここまで持ちこたえて呉れたものと、感謝と称賛を贈らねばなるまい。そうして到頭とうとう城塞も破壊され、ウェリア騎士団最期の戦いが始まったのである。帝国紀元一六二三年、真勇の月、第四の月の日であった。士気の下がったアウリー兵に、雪崩込んで来る敵を迎え撃つ気力は無かった。彼等は諦めのままたおされるか、未だ希望を捨て切れぬ者は逃亡を図ろうともしていたが、結局は其れも叶わず尽く滅せられた。最後の砦と為った修道院にウェリア騎士は立て籠もり、壁上より火矢や沸滾にえたぎった松脂を落とす等の抵抗を続けたが、其れ等の道具も殆ど残されていなかった。

 愈々団長は潔く散る事を決意した。我らは力の限りに戦ったと、団員全ての名を呼び激励した。既に命を落としている者達へも同様であった。左様にして死を決意した三百のウェリア騎士が、とき叫び剣を振るって修道院を飛び出した。いずれの騎士にとっても各々想い在っての決戦、まさに死戦である。其れにしても敵兵の多い事と云えば、散らされども尽きる事等知り得ぬが如き有様であった。傷を負い、次々と斃れる同胞達を僅か目に見送りながら、私は只戦うだけであった。抑々そもそも私の敵は彼等ではないのである。彼等への恨み等何一つ存在しない。只私は己自身が憎く、敵と云えば己であり、そして神であった。私は己を甚振なぶり神に反抗する為に彼等と戦っていた。やがて私は腹を切られた。仕留めたと判し気を緩めたと見受けられる相手の首を、私はね上げた。瞬時に噴水の如く舞う赫の見事さ。死に際して美しき花を咲かせた其の者を天晴と讃えながら、逝く様を見送った。舞い散る赫の花弁より意識を引き戻せば、何事であろう、敵味方の視線が私へと集っていた。静まった辺りの様子を伺えば、味方だの敵だのは関係の無い様子で、皆怪奇を目撃した哀れな幼児であろうかと云った顔つきで私を見詰めているのである。自身を省みれば、成程なるほど、此の期に於いて私は笑っていたのかと気付いた。そうしてようやく腹部の燃え盛るが如き熱さにも気付いたのである。

 裂かれた口からはらわたが零れ出ていた。余程深く切り込まれていたらしく、先の対峙相手が気を緩めたのも道理であろう。滑る管を左の手で以て支え、私は剣の柄を握る右の手に渾身の力を籠めた。目が覚めた心地であった。憐れらしく死んで為るものか。男としての尊厳を護らねばならぬ。目の前の敵を屠らずに斃れる程憫然びんぜんたる事は無し。愛しき者等を裏切り逃亡のはてに此処に居る己がせめてむくいれるとする為らば、此の指の間を滑り抜け大地へ落ちる臓物を引きってでも己に課された役目を全うする以外には無い。一二三と敵を見回した。全て私が屠るのだと決意を固め、両脚に力を籠め剣を振るった。立ち回る際に己の腸を踏み潰したやも知れぬが最早詮無き事であった。敵味方共が私に恐怖しているのが身に沁みる程に、私の心は歓喜に震えた。怖れを向けられれば私は勇む。最早私の自我は消え去ったも同然であり、嘲笑を上げ敵とする者等の肉を切り裂くばかりであった。だが、其の嘲りは果たして誰に向けられたものであったろうか。己の臓物を鮮血と共に撒き散らせば無数の恐怖が私を囲む。私は只管ひたすらに高揚するばかり。どうぞ恐れるが好い。私は己の死が間際に在って、到頭私にも此の時が来たと歓喜しているのだ。死が私にとって最強の力の根源である処へ、私へ向けられる恐怖の念。此れ以上に私を強くするもの等存在せぬ。一二三と屠り五六七八と屠った。

 者共私を聖人の如き等と善くものたまたもうたものである。邪悪を人身へ収めて成る姿を之と思い知れ。神よ私を見るが良い。貴様を恨み生きた人間の最期の姿を。貴様が真実に聖なる存在為らば此の邪悪さえも浄化して見せろ。只一つの魂の救済さえ成し得ぬ貴様の無力を思い知れ。私は神への憎悪を糧として敵を殺し屍の山を創り上げた。其の上に立つ私の腹中は空であった。私の体の感覚も既に消え去っていたが、風に煽られる儘に斃れた事は解った。

 愈々死の手が延べられるのを感じた。目蓋を降ろしているのかも判らぬ。しかし視界は闇であった。其の暗闇に浮かんだのは、馴染みの男と嬢の姿であった。幼少からの出来事が、此の時全て思い出された。精神が深々しんしんと鎮まり、当に死の間際に在って私は冷静さと愛しさ、そして物哀しい情を取り戻した。

 女に生れていた為らば、何にも咎められる事無く彼と愛し合えたのであろうか。彼女との友愛の情を其の儘で交わし続ける事が出来たのであろうか。しかし、私が女で在ったなら、幼少にして彼と離ねば為らなかった。彼女と出会い交友を深める事も無かった。農民として土を耕し、絵や詩楽、文学に触れる事も無かったのだ。為らば此れで良かったのだろうか。だが私は苦しくて為らない。苦しさを数えれば際限の無い人生であった。私の中に存在する相反すものとは何であったろう。他に対するは善意であり、己に対するは悪意であった。核は男でありながら其れを取り囲む性質は女であった。其の女の部分を男の器でもって隠し、核に強く在れと強制し女の要素を認めず、排除するべく闘ってきた。しかし排除など出来ぬのだ。何故なら其れも私と云う人間を構成する大きな要素なのだから。論理では解っていた。しかし感情が受容れられぬ。私は此の半々に存在する男性性と女性性を混ぜ合わせ、両性と成る事が出来れば良かったのであろう。だが、リーン人に生れた以上私は男らしく在らねば為ら無かった。とは云え其れで無かったとしても、極端な性質の私にとってはやはり困難な試練であったろう事は想像に易い。何れにせよ私の生はもう終わりであるのだから、来世に託すしかあるまい。この魂はまた同じ様な事で躓くのであろう。しかし時代や国が異なればせめてもの希望は在ると信じる。亦の生が与えられる事を疑わぬ私は、あれ程迄に神を否定しながらも、神を信じていた様である。

 私よ。私の魂よ。光と闇を受容れ賜え。其れ等は同時に私である。闇在ってこその光であり、光在ってこその闇であると知れ。私は論理で以て其れを理解してはいたが、ついに心情より納得し受容れる事は叶わなかった。どうか次の生に在っては受容せられる様。私の最期の祈りである。

 此の真実の祈りは、私の魂に捧げる。

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