――黒き血鉄の匂い、隣佇む美しき白――

紫陽花の城
一.幻影とたたかった女性と、彼女をかこむ家族の話

 リチャードさまの妻アメリアさまは、ほんとうにうつくしいひとで、そしてやさしかった。金色の髪と青い瞳は、わたしとおそろいだった。その息子のエリックはわたしより一歳年下で、よく笑ういい子で、かれはわたしを姉のように慕ってくれた。「フローレンス」とわたしを呼び、よく庭に咲いている花を摘んで持ってきた。わたしが「ありがとう」と言って受けとると、かれはにっこりとして、そのようすを微笑みをうかべてながめている、アメリアさまのところにかけてゆく。

 アメリアさまはわたしの髪をとかしながら、

「フローレンスはお人形のようにかわいらしいわね」

 と、毎日のようにほめてくれた。そのたびに、わたしは気恥ずかしくて、そして“こうしてくれるのが母だったならば”と思い、目頭が熱くなるのをおさえられなかった。母にはそのような余裕がなかったのだということは、おさなくともわかっていたが、“このやさしくてうつくしくて、わたしをほめてくれるひとが母ならば”とふと思っては、死ぬほどにはたらいて、実際に死んでしまった実の母にもうしわけなくて、うつむいてしまう。そうすると、アメリアさまはわたしをだきしめて、頭をなでてくれた。わたしはアメリアさまのやわらかい胸もとを涙でぬらした。エリックはいつもアメリアさまのそばにいたから、こういうときにもわたしたちのとなりにいて、そして、大好きな母親を、すこしのあいだ、わたしに貸してくれた。

 曾祖母が憎んでいたガルドスミスがおさめる紫陽花の城は、うつくしくて、家族はみんな、ほんとうにやさしかった。わたしはこのひとたちを恨む気もちには、とてもなれなかった。

 エリックの下には、妹と弟がいた。二人は年子で、妹はアリシア、弟はセドリックといい、わたしが城にやってきたとき、セドリックは生まれてから数週間しか経っていなかった。アリシアはアメリアさまとよく似た顔だちをしていて、セドリックは鼻とか眉のかたちが、リチャードさまにそっくりだった。ふたりとも、髪の色や瞳の色はリチャードさまゆずりだった。

 アリシアは黄色が好きらしくて、黄色のちいさなワンピースを着るとよろこび、エリックが黄色い花を摘んであげるとそれもよろこんだ。逆に青色のものはあまり好きではないようで、わたしの目を見ると、かわいい顔をぶすっとしかめる。それでもわたしの髪の色は好きだから、たばにした髪を彼女の目の前でゆらしてみると、途端に笑顔になるので、それがおかしくて、わたしも笑ってしまう。

 セドリックは、あまり泣かない赤ん坊だった。ほとんど笑いもしない。アメリアさまが話しかけても、反応がない。わたしは、孤児院にいた赤ん坊がいつも泣きわめいているのを見ていたので、この子は静かでいいな、などと思っていたのだが、アメリアさまは心配だったようだ。

「どこか、わるいところがあるのではないかしら」

 と、彼女は医者に診せたりもしていたが、セドリックが赤ん坊らしくさわがない理由は、わからないようだった。

 ある日、庭でわたしとエリックは、アリシアの遊びにつきあっていた。そばの長椅子にはリチャードさまとアメリアさまが掛けていて、わたしたちをながめていた。ふたりは静かに座っていたけれど、やがてアメリアさまが口をひらいた。

「ちかごろ、だれもいないのに話し声が聞こえたり、視線を感じたりするのです。ひどいときには、人影が見えることも……。朝、目がさめると、黒い影がわたしを見おろしているのです。すぐに消えてしまうのですが」

「かさなる出産と、子どもたちの世話で疲れているのだよ、きっと。セドリックのことも気になっているのだろうが……、きっと大丈夫だ。子どもたちの世話は乳母たちにまかせて、ゆっくりしなさい」

 アメリアさまはため息をつき、リチャードさまの肩にからだをあずけて、「そうですね」と言った。

 わたしは二人のこの会話を聞いていたけれど、アリシアの相手でいそがしいエリックには、聞こえていないようだった。

 それから、アメリアさまは自室にひきこもりがちになった。

 わたしとエリックは、毎日アメリアさまのお見舞いに行った。はじめは笑顔でむかえてくれていたアメリアさまだけれど、日に日に表情が暗くなり、やがてわたしたちがお部屋にはいっても見むかなくなった。わたしはそれがさびしかったけれど、エリックはもっとさびしかったろうと思う。

 一年も経つころには、アメリアさまは寝台に座って、ぼんやりと壁を見つめているばかりになった。わたしたちはそのころになっても、毎日アメリアさまの部屋に行っていて、それぞれアメリアさまにひとこと、ふたこと話しかけるけれど、やはり反応はなくて、花瓶のなかみをさしかえたら、部屋をあとにするしかなかった。扉のそとで、エリックは泣いた。わたしはなぐさめかたがわからなくて、だまってかれの手をにぎることしかできなかった。

 わたしは一度、リチャードさまにたずねてみた。アメリアさまはどうしてしまったのですか、と。リチャードさまはくるしそうな顔をして、

「彼女は病気になってしまったのだ」

 と言った。

「あのようなアメリアを見るのはつらいだろうが、どうか話しかけてやるのをやめないでほしい。たまに正気にもどると、“子どもたちはどうしているのか”と、聞いてくるのだ。おまえたちの声かけは、決して無駄ではないのだよ。たのむ」

 リチャードさまは、わたしの肩に手をおいて、瞳をふせた。かれはとてもつらそうだった。わたしはうなづいて、アメリアさまと、そしてエリックの支えになろうと決意した。

 それから半年ほど経った日の、夜中のことだった。突然、館中に絶叫がひびいて、わたしはとび起きた。部屋をでると、召使いたちがあわただしげにかけていて、剣をもっているものもいた。わたしはかれらについていった。

 やってきたのは、アメリアさまの部屋の前だった。扉はすでにひらいていて、のぞきこむとエリックがいた。わたしは召使いたちをおしのけて、部屋にはいった。

 アメリアさまはシーツを頭からかぶって、ひどくふるえていて、なにかにおびえているようだった。

「母さま、ぼくだよ。大丈夫だよ」

 エリックがアメリアさまにむかって呼びかけている。わたしは室内を見わたしたが、夜中であるということ以外に、いつもと変わったところはなかった。

 やがてリチャードさまがやってきて、あつまった召使いたちへ、おのおのもどるように言った。部屋にはわたしとエリックとリチャードさま、そして相変わらず、なにかにおびえているアメリアさまがのこされた。

 エリックはアメリアさまによりそって、「大丈夫だよ」とくりかえしていた。だが、突然アメリアさまはシーツをはねのけて、エリックをつきとばした。「うるさい!」と叫びながら。

 エリックはしりもちをついて、かたまってしまった。アメリアさまは息をあらくして、瞳を見ひらいて、あたりをぎょろぎょろと睨みまわしている。かと思えば、両手で耳をふさいで、「やめて、やめて」と呟きながらうつむいてしまう。

「おどろいたろう」

 リチャードさまが声をかけながら、エリックをたちあがらせた。

「おまえたちも部屋にもどりなさい」

 エリックは、すっかり落ちこんでしまったようすで、肩をふるわせている。

「エリック、母さまは、おまえの声がうるさかったのではないから、気に病むな」

「でも、ぼくをつきとばしたよ」

 エリックは、泣きだしそうな顔で言った。リチャードさまは、エリックの頭をなでる。

「母さまには、わたしたちには聞こえない声が聞こえていて、見えないものが見えてしまっている。おまえが、おまえでないものに見えてしまったのかもしれない。いずれきっとよくなる。そうしたら、もとの、やさしい母さまだし、いまでも、状態がよいときには、おまえのことをなによりも気にかけている。どうか、母さまをきらわないでおくれ」

「きらうわけないよ、絶対」

 そう言ったエリックの緑の瞳からは、涙がこぼれていた。

 それから三年ほど経って、わたしは九歳になった。その年、ユーイング・リスト家の少年がレイスにやってきた。名はアレンといって、黒髪で青い瞳をした、かわいらしい顔だちの、わたしよりふたつ年下の男の子だった。

 ユーイング・リスト家は、ファーリーン王家からわかれたリスト男爵家の、さらに分家だ。アレンはその家の五男で、レイス家に小姓としてつかえることになった。

 そしてそのころ、リチャードさまは侯爵と商会議長の兼任で、とてもいそがしいようだった。

 アレンは真面目で、ものおぼえがよくて、リチャードさまの身のまわりのお世話を上手にやれているようだった。

 わたしは当初からアレンが気になっていた。かれがなんだか魅力的に思えたのだ。はじめはリチャードさまにつきっきりで、わたしとの会話なんてほとんどなかったアレンだけれど、目があえば微笑んでくれたし、かれは察しのよい子で、わたしが困っていると、すぐに気づいてくれて、かれの手があいていれば、その場でわたしの相談にものってくれた。

 やがてかれが仕事になれてくると、エリックやわたしのところにもつかわされるようになった。おなじとしごろの子どもたちとの時間をすごさせるための、リチャードさまの気づかいだったのだと思う。わたしはアレンを召使いだとは思っていなかったし、エリックもたぶんそうだった。そもそも、ユーイング・リスト家はレイス家の所属というわけではないし、きっとそうでなかったとしても、わたしたちは対等な関係をきずいたと思う。

 けれど、五歳のアリシアはお姫さまごっこが好きで、アレンを召使いにして遊んでいた。アレンは気をわるくしたようなそぶりはまったく見せず、アリシアにかしずいて「はい、お嬢さま」と言って、彼女のささやかなお願いごとを聞いていた。ときどき無茶なお願いごとをされて困っているのを見かけたが、そういうときにはわたしやエリックがアリシアを注意した。するとアリシアはふてくされて、どこかへ行ってしまう。アレンは心配してアリシアを追おうとするけれど、わたしたちがひきとめて一緒にすごしていると、ひとりにされてさびしくなったアリシアはもどってくる。泣きべそをかきながら。

 そのころ、セドリックは四歳になっていた。わたしたちとは一緒にすごしたがらず、一人で遊ぶのを好んでいた。相変わらず、笑わない子だった。口数もすくなかった。

 ある日、わたしはかれが庭の片隅でうずくまっているのを見かけた。わたしはかれのもとにちかづいて、「なにをしているの?」とたずねた。けれど、セドリックはなにかに夢中のようで、わたしの声が聞こえていないようだった。わたしはかれの背後に腰をおろして、もういちど、「なにをしているの?」とたずねた。

 すると、セドリックはふりむいた。すぐうしろにわたしがいて、おどろいたのだろう。かれは目をおおきくひらいていた。かれはしばらくかたまっていたけれど、やがて満面の笑みをうかべた。かれのそんな顔ははじめて見たので、わたしもおどろいた。緑色の瞳を、ガラス玉みたいにきらきらさせて、白い歯を見せて、白い頬をあかくそめて、いつもの感情がないような表情が、うそみたいだった。わたしは、かれがなにをそれほどたのしんでいたのかが、とても気になった。

「遊んでいたの?」

「うん」

「すごくたのしそうね」

「うん」

 セドリックは笑顔のまま、なにかをかきあつめる。そしてたちあがると、

「見て!」

 と言って、両手いっぱいのなにかを、わたしに見せてくれた。

 それは、虫の残骸だった。羽や手足、胴体をちぎられた大量の虫たちだった。蝶や蟻、蟷螂かまきりや蜘蛛、そのほか、わたしには名前のわからない昆虫たちがバラバラにされていた。まだうごいているものもいたけれど、ほとんどは死んでいた。

 わたしはおどろいて、あとずさった。セドリックは笑顔のままだ。

「あなたがやったの?」

「うん」

 わたしは、おそろしくて逃げだしたかったけれど、腰がぬけてうごけなかった。

「どうして、そんなことをするの?」

「どうしてって?」

 わたしの問いに、セドリックは首をかしげた。

「そんなことしたら、かわいそうじゃない」

「どうして?」

 今度は、セドリックがわたしに問いかけてきた。“どうして?”と問うかれの表情はあまりにも無垢で、かえって、それが不気味に思えた。

「そんな、バラバラにされて……、生きているのに、いたいわ、きっと」

 わたしはようやくの思いで言った。

「ぼくはへいきだよ?」

 セドリックは、わたしの言ったことが理解できていないのか、まるで見当はずれなことを言った。

「虫たちがいたがるのよ。なにもわるいことをしたわけじゃないでしょう。むやみに生きものをきずつけるのは、いけないことよ」

「どうしていけないの?」

「その虫たちの気もちに、なってみなさいよ。あなた、とてもひどいことをしているのよ。わからないの?」

 セドリックの笑顔がきえた。わたしは、今度は自分がひどい目にあわされるのではないかと思った。かれが、たのしい気分をわたしの注意のせいで害したらしいのは、たしかだったからだ。かれはいつもの無表情にもどっていた。

 セドリックはしばらく無言でたたずんでいたけれど、やがて腰をぬかしたわたしの上に、両手いっぱいの虫の残骸をふりまいてきた。

 わたしはおどろいて、気味がわるくて、大声で叫んだ――ように感じたのはわたし自身だけだったのかもしれない。実際にはたいして声はでていなくて、だから召使いのだれも、ようすを見にこなかったのかも――。

 セドリックは笑い声をあげて、どこかに走っていってしまう。かれがどこに行ったのかなんて、気にする余裕はなかった。髪に虫の羽や手足がからまって、服の中に虫の遺骸がはいってしまって、それどころではなかった。

 わたしはどうしたらいいのかわからなくて、その場で泣いていた。

 そこにやってきたのは、アレンだった。アレンは、虫の破片にまみれたわたしのすがたに目をまるくしていたけれど、座りこんで泣きじゃくるわたしの前にひざをついて、わたしの手をにぎって、髪についた虫をはずしながら、「落ちついて」と言った。

 そのように言われても、わたしはなかなか落ちつけなかった。しゃくりあげるたびに服の中のかけらが肌を掻いて、気もちがわるかった。わたしは相手が年下であることもわすれて、「なんとかして」と、とぎれとぎれに懇願した。

「服のなかに、はいっちゃったの」

「じゃあ、ぬいで――」

 と、アレンは言いかけて、言葉をとめた。かれは上着をぬいで、わたしにさしだした。

「ぼくは、うしろをむいていますから」

 このときに召使いを呼びに行っていればよかったのだろうけれど、アレンも動揺していたのかもしれない。もしくは、こんな状態のわたしのそばからはなれるのが、ためらわれたのかもしれない。

 とにかく、わたしはうなづいてかれの上着をうけとった。アレンはわたしに背をむけて、木だちのむこうにまわる。わたしはワンピースのボタンをはずしていった。虫たちがバラバラとおちてゆく。それでも違和感はとれなかった。下着のなかに虫がいるせいだ。わたしは木だちを確認した。アレンは、――かれだから当然なのだけれど、こちらを見てはいなかった。わたしは思いきって、下着もぬいでしまって、そしていそいでアレンの上着をからだに巻いた。九歳と七歳ではからだのおおきさがちがうから、かれの上着にそでをとおすことはできなかった。

 わたしはかくすべきところがかくれているのを確認して、アレンを呼んだ。アレンはすぐにきて、そして、わたしがかれの服を着られずにからだに巻いているのを見て、頬をそめた。わたしは、そのころには、だいぶ落ちつきをとりもどしていたから、なんとなく、そんなかれがかわいく思えた。

「それでは、ええと……、侍女たちのところに」

 アレンは言いながら、虫まみれのわたしの服を手にとった。見えるところについた虫を払って、わたしに手をさしのべかけて、やめてしまう。

「すみません。ぼくの服は、ちいさかったですね」

 アレンはわたしに背をむけて、歩いてゆく。わたしはかれのあとをついていきながら、胸のあたりがしめつけられるような感覚をおぼえていた。さきほどまでの、恐怖と、嫌悪によるものとはちがう、熱くせつないような、不思議な感覚で、不快なものではなかった。わたしはアレンの背中にだきつきたい思いを、懸命におさえながら、かれの背を追った。

 やがてなじみの侍女のもとへ送りとどけられて、いったいなにがあったのか問いつめられて、わたしは正直にセドリックのことを話した。そのあいだもアレンはわたしのそばにいてくれた。わたしは入浴することになって、アレンとはそこでわかれた。なごりおしかった。かれとふたりきりでいた時間が、ほんの一瞬のことに思えて、ならなかった。

 アメリアさまは、以前のように、お部屋にこもられてばかりではなくなった。ときおりには庭にでて、エリックやわたし、アリシア、アレンのようすを見て、話しかけてこられたりもした。そのときのアメリアさまは、病気になる以前のアメリアさまと、かわらないように思えた。

 彼女はセドリックのことも気にかけてはおられたけれど、かれのことは生まれてからほとんど乳母にまかせきりだったから、いまさら、という思いがあったようで、遠くから見まもっていることがおおかった。

 わたしたちには元気になられたように見えていたけれど、まだ病状は回復しきっていないのだと、リチャードさまは言っていた。そんなアメリアさまに、セドリックの狂気じみたところを知られて、余計な心配をさせてしまうのはよくないと、リチャードさまがわたしたち子どもや、召使いたちに言っていたから、セドリックのことを、アメリアさまとのあいだで話題にすることもなかった。当然、セドリックが虫を分解して遊んでいたことも、アメリアさまは知らないし、わたしがかれにいじめられたことも知らない。

 そうして、アメリアさまとセドリックとのあいだには、これといった接点もないままに、月日はすぎていった。

 わたしが十一歳になったとき、アメリアさまが懐妊された。よろこばしいことだった。

 けれど、そのころから、アメリアさまの情緒はひどく不安定になって、しばしば癇癪をおこすようになった。もうほとんど病気は回復しているのだと、リチャードさまは言っていたから、わたしたちも安心していたのだけれど、身ごもられたことで、体だけでなく、心にも負担がかかったのかもしれない。

 アメリアさまは、エリックに暴力をふるった。そのときのアメリアさまは、アメリアさまではないように思えた。エリックをうちすえたあとには、アメリアさまはきまってエリックをだきしめて、涙をながしながら「ごめんなさい」と、くりかえしていた。エリックはそんなアメリアさまの背に手をまわして、「へいきだよ」と言って、毎日のようにくりかえされる、暴力と暴言にたえていた。

 わたしは、アメリアさまがこわかった。以前のやさしいアメリアさまと、このときのアメリアさまが別人のように思えてしまって、エリックのように、かわらずに接することができなかった。そばに寄るときには、アメリアさまが微笑んでいてもどこか怖じけづいて、遠慮してしまう。そんなわたしの気もちを、アメリアさまは察していたのだろう。彼女もわたしに距離をおくようになって、あまり話しかけてこられなくなった。

 アリシアも、アメリアさまと距離をとっていた。彼女は以前のほがらかな少女ではなくなりつつあって、アメリアさまにむかうときには、どこかばかにしたような、険のある視線をむけることがおおかった。彼女は、アメリアさまをほとんど、きらいになりかけているようだった。

 セドリックはもとより、アメリアさまに関心がない。

 でも、わたしはさびしかった。できることなら、以前と変わらずにアメリアさまと接したかった。けれどどうしても、彼女にたいする恐怖心のほうが、まさってしまった。

 ある雨の日、館内の廊下で、アメリアさまがうずくまっていた。わたしは彼女のそばにかけよった。

「どうしたのですか?」

 アメリアさまは、あさくて、みだれた呼吸のあいまから、かすれた声で、

「気もちがわるいの」

 と、言った。

 妊娠によって、気分がわるくなることがあると、わたしは知っていた。だから、アメリアさまが青白い顔をしているのも、きっとそのせいだと思った。

「なにか……、そうだ、桶をもってきます」

 わたしはいそいで、階下の台所に行こうとした。けれど、アメリアさまに腕をつかまれて、足をとめた。

「ちがうのよ……。ああ、どうして……、こんなこと、いままでなかったのに、どうして……。わたしのおなかのなかに、この子がいるのがたえられない……。ひきずりだしてしまいたい……。ああ、どうしたらいいの……、あとどれだけたえれば、あなたはわたしのなかからでてきてくれるの……? 気もちがわるい……なんて、そんなこと、どうしてこんなふうに感じてしまうのかしら……。わたし、おなかを突いてあなたを殺してしまいそうよ……。ああ、ごめんなさい……、ごめんなさい……、愛しんであげたいのに、こんなことじゃ、わたしあなたの母親になれないわ……」

 アメリアさまはふくらんだおなかを見つめながら、とぎれがちに呟いた。わたしはどうしたらいいのか、どのような言葉をかければよいのか、わからずにたちすくんだ。それでも、きっとアメリアさまはご病気のせいでこのようになっておられるのだと思った。

「リチャードさまをお呼びしてきます」

 そうしぼりだしたわたしのことばに、アメリアさまはうなずいて、わたしの腕から手をはなした。わたしはリチャードさまの執務室へとかけていって、そして、アメリアさまがくるしんでおられることを伝えた。リチャードさまは、椅子をたおしそうないきおいでたちあがった。わたしはリチャードさまといっしょに、アメリアさまのもとへもどった。

 アメリアさまは石の床に横たわって、すすり泣いていた。リチャードさまがお声をかけると、アメリアさまは瞳いっぱいの涙をしたたらせて、声をあげて泣きながらリチャードさまの首にしがみついた。

「そのような思いをしてまでも、産むことはない」

 リチャードさまは、アメリアさまの華奢な背中をなでながら言った。けれど、アメリアさまは首を横にふった。

「そのようなことをおっしゃらないで。わたしはこの子を産みたいのです。だから、どうかお願いです、わたしを勇気づけてください」

「おまえは、なんとつよい女なのだろう……。

 おまえを妻にできて、わたしがどれほど誇らしく感じたか。病をわずらってから、おまえはみずからを卑下しがちになったが、その必要がどこにあるというのか。こころをむしばまれる病をわずらっても、おまえのこころはつよいままだ。なぜならば、いまもこうして、戦っているではないか。

 他人がなんと言おうと、わたしはおまえがつよい女であることを知っているし、おまえが自分自身をさげすもうとも、わたしはおまえを誇っている。それはきっとエリックもおなじで、あの子もおまえとともに戦おうと、おさないながらも懸命だ。おまえにはわたしたちがついているのだから、安心しなさい」

 アメリアさまはすすり泣きながら、リチャードさまの胸にひたいをあずけていた。

 そしてわたしは、アメリアさまをおそれていたことを、心中で謝罪した。わたしはアメリアさまのくるしみを理解できていなかった。いや、きっとほんとうの意味ですっかりと理解することはできないだろう。とは思うけれども、わたしのふるまいは、アメリアさまをきずつけていたにちがいなかった。アメリアさまはひとりなのだ。エリックやリチャードさまは、ずっと彼女の味方だったけれど、幻影や衝動とたたかうとき、アメリアさまはひとり。そうして、ひとときのあいだ、まどわされて、それでもいつもの彼女にもどるとき、アメリアさまはどれほどの意志のちからでもって、幻惑にうちかつのだろうか。

 わたしは、アメリアさまと母娘のような関係をきずけたことが、あらためてすばらしいことだと気づいた。そして、かつて彼女とエリックの支えになろうと決意したことも思いだした。わたしは自分が臆病で、薄情だったと気づいて、そして深く反省した。

 アメリアさまは落ちつきをとりもどしたようだった。

「ありがとうございます」

 と言いながら、アメリアさまは、リチャードさまの手をにぎって微笑んだ。

 アメリアさまは、まるでなにかに、とりつかれているようだった。やはり、わたしはアメリアさまが、アメリアさまではないように感じた。

「ガルドスミス、うらぎったのはおまえたちにほかならぬことを、わたしは知っている。その罪をわたしたちにきせたこと、それこそが、あまりにもおもすぎる罪であろう。わたしの城をかえせ。うつくしき街をかえせ。わたしは決して、きさまたちをゆるしはしない。雪辱だ。復讐だ。わたしはおまえたちを呪う。おまえの子孫に呪いをかける。罪をみとめ、そしてこの城からでていけ」

 アメリアさまはひくい声でそのように言い、エリックの首をしめた。わたしや、そしてときどき居あわせるアレンは、アメリアさまの腕にすがって、アメリアさまの名を必死に呼んだ。ふたりがかりで、エリックの首にまわるアメリアさまの手をひきはがそうとした。けれど、はがれなかった。アメリアさまのほそい腕から、どうしてそれほどのちからがだせるのか、不思議でならなかった。

 アメリアさまの言葉は、わたしに曾祖母の話を思いおこさせた。彼女は、ガルドスミスにはげしい恨みをもっていたけれど、うつろな瞳でエリックの首をしめつけるアメリアさまは、わたしの曾祖母とおなじように、ガルドスミスに恨みをもつ、かつてのレイス家の人間のように思えた。けれど、アメリアさまはカースラン家の出身だし、ガルドスミスがレイス侯爵の地位におさまったのも、もう八十年以上もむかしのことだ。彼女がレイス家の事情について、それほどくわしく知っているとは思えなかった。

 わたしは、はたしてそんなことがあるのだろうかと思いつつも、アメリアさまはこの紫陽花の城にのこっている、旧レイス家の亡霊にあやつられているのではないかという想像をした。だから、あととりとなるであろう長男のエリックに、はげしくあたるのではないか、と。

 エリックの意識がなくなりかけたとき、アメリアさまは手のちからをゆるめた。彼女の瞳には光がもどり、そしてつぎの瞬間には、表情が絶望をいだいたものにかわる。

「エリック! しっかりして……、ああ、なんてことを、わたしは……。エリック、ごめんなさい、ごめんなさい、くるしかったでしょう……、ごめんなさい……」

 アメリアさまは涙をながしながら、エリックの青ざめた頬をなでた。エリックは、はげしく咳こんだあと、朦朧としたような顔で、それでも口もとに笑みをうかべながら、“大丈夫”と、声とはならない言葉をアメリアさまにつたえた。

 そういったことが、ときおりおこった。そういう日々をすごすうちに、アメリアさまのおなかはおおきくなっていった。

 帝国とフォルマ王国とのあいだに、不穏な気配がただよいはじめていた。ヴィオール大公の一家の消息が、フォルマ国内で、とだえたのだ。

 四か月後、真勇の月に、アメリアさまは出産なされた。生まれたのは男の子で、パトリックと名づけられた。アメリアさまに似た顔だちの、けれど、ほかのきょうだいたちとおなじように、リチャードさまゆずりの亜麻色の髪と、緑の瞳の、かわいい赤ちゃんだった。

 祝賀にわくレイスだったが、一方で、あまり大々的によろこんでいられる状況でもなかった。フォルマで消息が絶えていたヴィオール大公家のかたがたが見つかったのだ。公子フェリクスさま以外は、ご遺体となって。

 ファーリーンは帝国に属するものとして、フォルマに宣戦を布告した。いくさとなればお金がうごくもので、だから、ファーリーン商会をとりしまるリチャードさまは、フォルマ王国からもっとも遠いレイスの地にあっても、おそらく、ファーリーン王国の貴族のなかで、もっともいそがしいひととなっていただろう。毎日、執務室と商会本部との往復で、ご家族と顔をあわせる時間さえももてず、出産してまもない、疲れているアメリアさまをいたわることもできず、生まれてまもないパトリックとふれあう余裕もなく、ほんとうに、毎日、かけまわるように仕事に明け、暮れていた。

 小姓としてこの城にやってきたアレンも、リチャードさまの身のまわりのお手伝いにいそがしくなって、わたしたちとすごす時間はすくなくなっていた。

 夕刻だった。わたしはエリックと一緒に、パトリックを寝かしつけていた。あたらしい家族は、セドリックとはちがって、よく泣いて笑った。そんなかれをあやしたり面倒をみるのが、わたしたちはたのしかった。乳母にたいしてつよきで、自分たちにまかせてくれるようたのみこんでは、わたしたちは一緒にパトリックをあずかった。

 パトリックがすこやかな寝息をたてはじめてすこししたころ、アメリアさまが部屋にやってきた。

「いましがた、眠ったところなんです」

 わたしはアメリアさまにつたえた。

 けれど、アメリアさまはわたしやエリックには見むきもせず、ゆっくりとパトリックのほうへちかづいた。わたしはアメリアさまの目を見て、それがうつろなものであることに気づいた。あの、レイスの亡霊にとりつかれている瞳だと。エリックも、アメリアさまが本来のやさしいアメリアさまでないことに気づいたようで、「母さま……」と、ひかえめに呼びかけた。

 アメリアさまはじっと、おだやかに眠るちいさなパトリックを見おろしていた。どれくらいそうしていただろうか、わたしとエリックは緊張して、アメリアさまを見つめていた。やがて、アメリアさまがふところに手をいれた。とりだされた右手に握られていたのは、短剣だった。

 わたしは、とてつもなくいやな予感がした。アメリアさまが短剣の鞘をぬいた。パトリックを見つめたまま、それをたかくかざす。

「母さま!」

 エリックが叫んだ。かれはアメリアさまの胴に腕をまわして、彼女をパトリックからとおざけようとした。そして、いきおいあまってふたりはたおれ、アメリアさまの手からこぼれた短剣が床にころがった。

 エリックの叫びと、ふたりがころんだ音で、目をさましたパトリックが大声をあげて泣く。

 わたしはうごけなかった。その場にたちすくんだまま、天井を見あげて呆然としているアメリアさまを、ながめていた。

「母さま」

 再びエリックが呼びかけた。

「……わたしをとじこめて……。いいえ、もう、きっとだめなのだわ。子どもたちを殺してしまう。その前に、わたしは死んでしまうべきよ」

「母さま、そんなこと言わないで。大丈夫だよ、ぼくがそんなことさせない」

「あなたを殺してしまう。そうなったら、わたし、たえられない」

「大丈夫だよ、母さま、ぼくを見てごらんよ。ずいぶんとおおきくなった。もう、母さまのちからにも、あらがえるよ。殺されたりなんてしない。弟を殺させもしない。ぼくがいつもそばにいるから、だから、大丈夫だよ」

「わたしもです。アメリアさまのおそばにいます」

 わたしはだまっていられず、言った。

「あなたたちに、そのようなことを言わせてしまう母親であることが、くるしい」

 アメリアさまは瞳に涙をうかべる。

「けれど、あなたたちのような、やさしい子たちにめぐまれたことは、わたしの幸福にちがいないわ。けれど、どうして、わたしなどにはもったいない。あなたたちはほんとうにいい子なのに」

「母さまが、ぼくたちをやさしい人間にそだててくれたんだよ」

「そうです。アメリアさまがやさしくしてくださったから……。わたしはアメリアさまのようになりたいと思って……」

 わたしは声がふるえそうになったので、そのさきは言えなかった。

 パトリックのやまない泣き声を聞きつけて、乳母がやってきた。彼女はたおれたアメリアさまにおどろいた顔をしたけれど、なにもたずねずに、パトリックをだきあげた。

 アメリアさまの、というよりも、アメリアさまにとりついた亡霊の行動は、しだいにはげしくなっていった。

 アメリアさまは、ときに手負いの剣士のようにもなった。エリックにおそいかかり、さわぎとなって、あつまったものたちのなかにいた騎士の剣をうばって、ふるうこともあった。アメリアさまの手にわたった剣をはじこうとして対峙した騎士と、まるで互角にやりあう。

 アメリアさまは一体いつ、剣などおそわったのか。ファーリーンの貴族の女性が、剣をおそわる機会などない。それなのに、騎士がいっときは圧されるほどの腕で、アメリアさまはながい剣をあやつった。

 わたしは、きっと旧レイス家の騎士がとりついているのだと、そのようすをながめながら思った。もはや、わたしのでる幕ではなかった。わたしは、固唾をのんで見まもっていることしかできない。

 アメリアさまの体をかりた剣士は、騎士を圧倒しかけたけれど、アメリアさまは小柄な女性だし、体力がながくつづくひとではないから、やがてうごきはにぶり、手ににぎられた剣は、はじきとばされた。そして、アメリアさまはそのまま気をうしない、たおれた。

 この件は城じゅうに知れわたり、しばらくは召使いたちのあいだで、話題の種となった。

 アメリアさまは、疲れてしまっていたらしい。色々なことがあった。そのたびに、居あわせたエリックとわたしで、アメリアさまが、彼女ののぞまない行動に走ってしまいそうになるのをとめていた。アメリアさまは何度も、「もう、死んでしまいたい」と言った。けれど、わたしたちは彼女に生きてほしかった。

 でも、アメリアさまが疲れてゆくにつれて、亡霊はそのちからを増していって、とうとう、アメリアさまはパトリックをきずつけてしまった。

 かくしても、かくしても、アメリアさまは短剣を見つけだした。レイスの家につたわる、つまり旧レイス家から伝来する古い短剣だというそれを、アメリアさまはパトリックにふりかざしてしまったらしいのだ。わたしはそのとき、その場にいなかった。エリックもだ。夜中だったから、そのときわたしたちは眠っていた。

 アメリアさまは、生後二ヶ月のパトリックのおなかを切ってしまった。たくさんの血がでて、大変なさわぎになった。さいわい、きずは深いものではなかったから、呼ばれたお医者さまがいそいでぬいあわせて、おさないパトリックは一命をとりとめた。

 けれど、パトリックをきずつけてもなお、意思がもどらなかったアメリアさまは、三人がかりでとりおさえられて、西の塔にいれられた。そのなかで、きっと意識がもどったのだろうアメリアさまは、自殺未遂をした。どうやら、照明具で窓をわり、ガラスの破片をつかって首を切ったらしい。ようすを見にいった騎士が、血をながしたおれるアメリアさまを見つけて、またおおさわぎになった。

 アメリアさまが見つかったときには、きずをつけてから時間が経っていたから、ながれた血がおおくて、こちらはたすからないかもしれないと、お医者さまは言った。

 それでも、三日後にアメリアさまは目をさました。わたしとエリックはアメリアさまにつきっきりでいたから、彼女のまぶたがふるえた瞬間に、何度も呼びかけた。

 目をあけたアメリアさまは、わたしたちのすがたをながめ見て、そして、「死ねなかったのね」と、かなしげに微笑んだ。

「けれど、これだけからだがよわっていれば、しばらくはおかしなことをしなくてすみそう。ねえ、わたし、もう食事はいらないわ。このからだを元気にさせないでちょうだい」

「そんなことできないよ! お願いだから、死んでしまおうだなんて、思わないでよ。元気になって、それから、母さまのからだが勝手にうごいてしまうことについては、考えればいいじゃないか!」

「これはね、きっとどうしようもないのよ……。だって、これだけあらがおうと必死で、あなたたちはいつだってとめてくれて、それなのに勝てないの。わたしにも、あなたたちにも、これはどうしようもないのよ。わたしがこのからだを殺してやることでしか……」

「やめて!」

「ごめんね、エリック。ありがとう。でもね、わたし、もうそろそろ限界なの……」

 わたしたちは、どうすることもできず、だまって涙をながすしかなかった。

 そんなふうに、わたしたちが困難に直面しているあいだにも、リチャードさまはやってこなかった。ほんとうに、どうしようもないほどにかれはいそがしかったのだと思う。

 けれど、ある日すこしだけ時間があいたらしく、リチャードさまはアメリアさまのもとへやってきた。アメリアさまは、食事をほとんどとられなくて、日に日にやせおとろえていっていた。ひさかたにアメリアさまに対面したリチャードさまが、おどろいた顔をしたのも当然だと思う。

「おいそがしいでしょうに、もうしわけありません、ご心配をおかけして」

「心配も心配だ。食事をとっていないと聞いたぞ。そんなにやせてしまって……」

「わたしはもう、このまま死のうと思っています」

「やめてくれ。おまえがいなくなっては、わたしは駄目になってしまう。おまえが待っていると思えばこそ、わたしは日々のあわただしさに、たえられるというのに」

「あなたの妻となれて、わたしはしあわせでした」

「今生のわかれのように言うな。たのむから、これからもわたしを待っていてくれ」

「そのようにしたい……。ほんとうは、あなたとずっと一緒にいたい……。けれど、もうゆるされないのです」

「なにものがゆるさないというのか。わたしもおまえも、ともにいることをのぞんでいる。それでじゅうぶんではないか」

「ゆるしてはくれないのです……、わたしたちがしあわせに暮らすことを、この、レイスにしばられる亡霊たちは」

「亡霊だと? 亡霊のしわざだというのか?」

「あなたは信じておられない。わたしの病が、わが子をきずつけるようなおこないをさせているのだと思っておられるのでしょう。けれど、わたしには見え、聞こえる。かれらの声が」

「…………」

「それこそが病のしわざなのだとお思いでしょう。けれど……、ああ、もう、いまとなってはなにもののしわざなのかなど、判別のしようもないかもしれません。いずれにせよ、わたしはときに自分でなくなり、わが子をきずつけるひどい女になるのです。そのような女は、はやく殺してしまうべきです」

「アメリア……」

「リチャードさま……、お時間が……」

 アレンが言いにくそうに、けれども言った。

「ああ、わかっている。しかし……」

「おゆきになって」

 アメリアさまは微笑んだ。

「あなたのお顔が見れて、声が聞けて、わたし、しあわせです」

 翌朝、うすく白みはじめた空の下、アメリアさまを見つけたのは、たまたまはやくに目ざめてしまい、窓のそとを見ようとした、わたしだった。

「アメリアさま!」

 わたしは叫んでいた。そして、部屋をかけでた。わたしの声で目ざめた城のものたちが、わたしになにごとかとたずねてくる。

「アメリアさまが、おそとでたおれているの!」

 わたしは叫んだ。

 アメリアさまは、咲きみだれる秋の花たちのなかに、よこたわっていた。やせすぎて、それでも、彼女はうつくしかった。

 エリックがアメリアさまに歩みより、ひざをついた。かれはアメリアさまの頬にふれた。

 城じゅうのものたちがあつまっていた。アメリアさまと距離をとっていたアリシアも、その場にはいた。

 おくれてこられたリチャードさまは、「アメリア!」と叫び、かけより、そして彼女をだきおこした。

 アメリアさまは目をとじ、微笑をうかべている。

 けれど、彼女はもう、息をしていなかった。

 館の窓辺に目をむけると、セドリックがいた。かれは頬杖をついて、悲嘆にくれるわたしたちを、じっとながめていた。

 アメリアさまが亡くなったことに、安堵のような思いがまったくなかった、と言えば、きっとうそになる。けれど、そんなことよりも、わたしたち家族はかなしんでいた。

 エリックはすっかりふさぎこみ、リチャードさまも落ちこんでいた。

 でも、リチャードさまにはお仕事があって、そこからはなれるわけにはいかなかった。エミル王が戦死されて、ルートヴィヒ王子が王の位につき、ファーリーンの貴族としてそのことに対応せねばならず、そして相変わらずつづくフォルマとの戦闘――アシュタール戦役とよばれるようになったそれ――のために、大量にうごくカネに、商会の議長として対応せねばならず、リチャードさまは、あれほどなかよく愛しあっておられたアメリアさまの死を、なげく時間さえなかった。

 わたしは、今度はリチャードさまが病まれてしまうのではないかと、心配でたまらなかった。

 アレンは、アメリアさまがご病気になられてから城にやってきたけれど、アメリアさまがほんとうはおだやかでやさしいひとだということを知っていたし、きっと、わたしたち家族に同情もしてくれて、一緒にかなしんでくれた。かれもわたしたちの家族だった。かれと一緒に、アメリアさまを落ちつかせようと懸命になっていたのを、わたしは思いだす。

 アメリアさまをさけていたアリシアも、泣いていた。彼女は病まれてしまったアメリアさまをさげすんでいたけれど、それでもアリシアにとって、アメリアさまが母親であることにちがいはなかったのだ。

 みんなかなしんでいた。

 ただ、セドリックと、まだ赤ん坊でものごとの理解できないパトリックをのぞいては。

 けれど、わたしはセドリックがかなしむそぶりを見せないのは、当然かもしれないと思った。なぜなら、かれはアメリアさまがすっかりやさしくておだやかだったころを知らない、というよりも、おぼえていないだろうし、彼女と母子としてじっくりとふれあったこともないのだから。

 この、わたしのセドリックに対して同情的な想像は、かれが成長してゆくにつれて間違いだったと気づかされるのだけれど、当時のわたしは、母の死をかなしむことができないセドリックをあわれんでいた。

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