ユール書殿

――黒き血鉄の匂い、隣佇む美しき白――

掌・短編集
第三通りの不良少年

 ものごころがついたときには両親はおらず、俺は叔母夫妻のもとで育った。別段裕福ではないが貧しくもなく、とくに不自由のない暮らしの中にいた。叔母夫妻が俺に与えてくれたものが実の子に対するものとほとんど同じだったのかどうか。考えた所で実の両親を知らない俺にはどうとも判断の付けようはない。だが、他の家族を外野から見ている限りでは、ほとんど変わらないものだったように思う。

 それでも若い俺はなにかが不満だった。俺は、きっと他の多くの子供達が実の家族へするのと同じように、叔母夫妻に対して我侭だった。遠慮や恐れなど無く、彼女らを困らせ、ついに嫌気が差した彼女らが俺を見放すかどうかを試していた。

 素行の悪いガキらと群れ、命を維持するためにどうしても必要としているわけでもなく、単に己の度胸を仲間内に示すためだけに盗み、傷つけ、破壊した。はじめは人目をはばかっていた行為も次第に隠す気が失せていけば、俺はいつの間にやらリストの街の有名人になっていた。全身から針を突き出すような心持ちで、でかく育ってくれた図体を揺らしながら昼間の大通りを散策していれば、俺の半径十五フィート以内から人が消える。そういうときの気分は悪くなかった。

 だが、そんな俺の悪評が叔母夫妻の耳に入らないはずもなく、叔父は俺を毎晩のように叱った。殴り合ったことも一度や二度ではない。そして俺は叔父の歯を最終的には四本折った。頬や額に濡れたガーゼを当てて仕事に向かう叔父の背を見送りもせず、あの人がいつ俺に「出て行け!」と声を荒げるかが、楽しみでならなかった。実際に追い出された後のことなど考えちゃいない。俺は只の馬鹿野郎だった。

 それは無知と浅慮せんりょがもたらした、ささやかにして重大な事件だった。とある朝方、俺は早くに目が覚めて暇を持て余したものだから、なんとなく外を歩いていた、道の対面からくすんだ金髪のガキがやって来るのが見えた。そいつはいかにも読書やら勉強やらが好きそうな、汎ゆる部分で俺とは対照的に思えるようなやせっぽちだった。身なりはそこそこ良いところの子供といった感じで、俺はしめたとばかりに、そいつの行く手に立ちふさがって声を掛けた。

「よぉ、坊っちゃん。ちぃと金を恵んでくれねえかな?」

 金髪のガキは肩をビクつかせてから顔を上げた。俺よりも三インチほど低い場所に、緑色の瞳がある。

「ええと、どうしてだい?」

「困ってるからに決まってんだろ」

 俺はガキをきつく睨んでやった。このまま脅して有り金を巻き上げてやろうと考えていたところに、しかしそいつは眉尻を下げ、同情的な眼差しを向けてきた。

「……幾ら必要?」

「はぁ?」

 俺は耳を疑った。

「お金が入用いりようなんだろう? ……もちろん、誰にも内緒だけれど。ああ、でも……あまり手持ちはないかな」

 俺はなんだかムカッ腹が立って、クソガキのご丁寧に整えられた襟を掴んで揺すった。

「テメエよ、どこのボンボンだ一体。余裕ぶっこいたセリフ吐きやがって、舐めてんのか?」

「え? でも、お金が必要だって、君が言うから」

 俺の睨みに恐怖した様子など見せやしない。ガキのくせに。自分は守られていて、絶対に安全だとでも思っているのか。このガキは、誰も自分を害せやしないと信じて疑がっていない、そんな印象を受けた。

 俺は思いの外面倒な相手に絡んでしまったらしいと思いながらも、今更引っ込みもつかず、ただ黙ってガキの襟を掴んでいた。

「あの……、大丈夫?」

「テメェみてえなヤツを相手にするのが一番面倒くせえんだ」

 ガキは俺の顔をまじまじと見上げて、下げにくそうな首を引いて視線を下に向けた。

「よく見たら、肌艶や肉付きも良いし。その様子だと、食べ物に困っていて、今すぐにでも死んでしまいそう、ってわけではなさそうだよね」

「馬鹿か。食い物があったって人は死ぬ」

「勿論。人は複雑な生き物だ」

 静かな時間だった。それ以上話すこともなかった。ただ、俺は少しばかり自尊心を傷つけられた気になっていた。『第三通りのジェレミー』と言えば、この街で存在を知らない人間はそういない。人相だって知れている。

 無性に苛立った。それがなぜなのかを考えるような習慣は持ち合わせていなかったが、なんとなく、考えなければならない気がした。

 舌打ちを一発。視線を下げると、金髪のガキはすっかり笑みを浮かべている。

「僕ね、こんな風に脅かされたことってないんだ。だから、いい教訓になった。ありがとう」

 俺は頭をぶっ叩かれたような感じがした。俺に感謝? まるで意味が分からない。

 そんな愕然とした思いを断崖から突き落とすように、俺の何かを肯定するかのように、笑顔のガキはそれはもう力強く頷きやがった。

 のちに知ったが、あの金髪のガキはリスト男爵家の長男坊だったらしい。よくもまあ、しょっぴかれて文字通り首を切られたりすることもなく済んだものだと、まさか他人に話すわけにもいかない出来事だったので、一人胸の内で思った。リスト家は温厚だし、今の時代に断首なんてことはしなかっただろうが、いずれにせよあのとき俺があいつ――ヘンリーに「無礼者!」と怒鳴られてでもいたら、今とは全く違う人生を歩むことになっていたであろう事は想像に易い。

 そのような事件を経つつ、俺の性格は幾分か落ち着き、ついでに少し真面目で思慮深くもなり、王属騎兵になる夢を抱いて行動した。十五年後の現在は、近衛騎兵になって久しい。

 あの不真面目で凶暴だった俺は、完全にそのなりを潜めたわけではないにしろ、随分と温厚になっただろう。仲間からは「心配性の母親のよう」だのと言われるようになってしまったが、もう三十路も過ぎた俺は、そのようなからかいじみた言葉も甘んじて受け入れている。

 王属騎兵と言えば国の誉れ。近衛騎兵ともなれば、国中に名を知られる英雄だ。

 帰郷して歯欠けの父に迎えられる度に、少しばかりの親孝行はできたのだろうかと考える。だが二人の顔を見て、それを敢えて尋ねるようなことはしない。

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